原野和夫
原野 和夫(はらの かずお、1928年1月9日 - 2019年11月9日)は、日本の実業家、時事通信社元社長、パシフィック・リーグ元会長。
来歴・人物
編集山口県山口市出身[1]。1950年に東京大学農学部を卒業し、時事通信社に入社[1]。那覇特派員、海外部長、編集局長などを歴任し、1978年6月に取締役に就任し、1980年6月に代表取締役を経て、1984年6月から1990年6月まで社長を務めた[1]。1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章した[2]。
1991年1月にパシフィック・リーグ会長に就任[1]。2000年12月に退任するまでの間、伊良部秀輝のメジャーリーグ挑戦やイチローのポスティングシステム採用(日本初)があり、1997年には観客動員1000万人突破を成し遂げた[1][3]。
著書
編集- パ・リーグ会長のプロ野球緩球自在(時事通信社、1995年、ISBN 4788795027)
- 球場の教訓―緩球自在〈2〉(善本社、2007年、ISBN 9784793904431)
脚注
編集- ^ a b c d e 興信データ株式會社 2003, は143頁.
- ^ a b c “原野和夫氏が死去 元時事通信社社長”. 日本経済新聞. (2019年12月16日) 2022年1月11日閲覧。
- ^ “元プロ野球パ・リーグ会長の原野和夫氏死去 91歳”. 日刊スポーツ. (2019年12月16日) 2022年1月11日閲覧。
参考文献
編集- 興信データ株式會社『人事興信録 第42版 下』興信データ、2003年。
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