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厳島 (いつくしま)は、日本海軍敷設艦[25][26]。 日本海軍の制式な名称では旧字体を使用するが[27]、本項では厳島とする。

厳島
Japanese minelayer Itsukushima Photo NH98366.jpg
基本情報
建造所 浦賀船渠[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 敷設艦[2]
母港 横須賀(最終時)[3]
艦歴
計画 大正12年度[4](1923年)
起工 1928年2月2日[1][5]
進水 1929年5月22日[1][6]
竣工 1929年12月26日[1][7]
最期 1944年10月7日戦没
除籍 1945年1月10日[3]
要目(計画)
基準排水量 1,970英トン[8]
公試排水量 2,080トン[8]
満載排水量 2,180トン[8]
全長 107.50mm[8]
水線長 104.00m[8]
垂線間長 100.00m[8]
最大幅 12.80m[8]
水線幅 12.75m[9][注釈 1]
深さ 計画 7.64m[8]
実際 7.638m[10]
吃水 公試平均 3.22m[8]
満載平均 3.26m[8]
公表値 3.08m[11]
ボイラー 補助缶:ハ号艦本式缶 1基[12][13]
主機 ラ式一号ディーゼル 3基[12]
推進 3軸 x 400rpm[12]
推進器直径1.600m、ピッチ1.710m[14]
出力 3,000馬力[8]
公試成績 4,306馬力[9]、または4,070馬力[15]
速力 計画 17ノット[8]
公試成績 17.297ノット[15]
公表値 16ノット[11]
燃料 重油 145トン[8] または400トン[16]
航続距離 5,000カイリ / 10ノット[8]
乗員 計画乗員 221名[17]
竣工時定員 235名[18]
公表値 227名[11][19]
兵装 三年式14cm単装砲 3門[20]
8cm単装高角砲 2門[20]
遠距離爆雷投射機 1基(竣工時)[16]
水圧式投下台2基[21]
爆雷18個[21]
五号機雷500個または二式六号機雷300個[21][22]
搭載艇 9m内火艇1隻、9mカッター2隻、8m通船1隻、同6m1隻[23]
ソナー O.V.水中聴音機[24]
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概要編集

軍艦厳島」は昭和初期に就役した日本海軍の2,000トン級機雷敷設艦[28][29]。主機にディーゼルエンジンを搭載した[30]。 竣工後、支那事変日中戦争)に参加。1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時は第十七戦隊に所属しており、南方作戦にともなうフィリピン攻略戦蘭印作戦に参加[29]。その後は東南アジア方面で機雷敷設や船団護衛任務に従事した[29][30]1944年(昭和19年)8月下旬、セレベス島方面で空襲を受け損傷[29]。スラバヤへ向け曳航中の10月7日、オランダ潜水艦の雷撃を受けて沈没した[29]

艦名編集

艦名は、日本三景の一つである広島湾北西部厳島厳島神社所在の宮島)に依る[31][32]。 初代「厳島」は、日清戦争日露戦争で活躍した松島型防護巡洋艦(三景艦)の「厳島[32]。初代「厳島」は1919年(大正8年)4月1日に除籍された[32]。 敷設艦「厳島」は、日本海軍艦艇としては2代目となる[33][34]

艦型編集

1923年(大正12年)度計画[35]。日本海軍にとって、設計段階から敷設艦として建造した最初の艦[34]。当初軍令部は遠洋作戦(南洋諸島)での運用を想定し、排水量3,000トンから4,000トン級敷設巡洋艦を希望したが、予算の関係で2,000トンほどの艦型となる[34][35]。中甲板に機雷敷設軌条6条が設置され、艦尾に投下口が設けられた[35][36]。機雷は五号機雷の場合500個(六号機雷の場合は300個)を搭載可能[35]。荒天時の敷設を考慮して機雷は全て艦内に収容した[16]

主機に、潜水艦用のラ式一号ディーゼルを採用(新潟鉄工所製)[35]。日本海軍で水上艦のディーゼル採用は、給油艦「剣埼」に続いて2艦目[35]。戦闘艦艇としては最初の試みとなる[37]。ディーゼル三基のうち両舷二基は、第一次世界大戦の賠償艦であるドイツ潜水艦U125のディーゼルを流用した[35][22]。敷設時の操舵性を良くするために[16]、日本海軍艦艇としては珍しい三軸推進艦となった[34]。またエルツ舵採用も操舵性向上のためで[16]日本海軍艦艇では珍しかった[22][35][38]。2,000トンほどの艦型で機雷搭載量と航続力、砲力を優先したため、速力が犠牲になり17ノット(計画)になった[39]

船体はフラッシュデッキ型で、艦橋から後方の中甲板のほとんどが機雷庫となっているため[40]、一部居住区が上甲板にはみ出した格好になる[35][41]

強行敷設での敵駆逐艦の排除を想定し[16]、主砲には日本海軍軽巡洋艦の標準的な50口径三年式14cm砲で、単装3基を備える[35]。艦橋前シェルター甲板上に1基、後部マスト前後の上甲板上に各1基を配置した[42]。艦橋両側のシェルター(セルター)甲板上には四十口径三年式八糎高角砲を装備[35][42]。排水量2,000トンの割には有力な砲力もっていた[28][43]

爆雷投射機は試験的に最大射程約1,500mの遠距離用爆雷投射機1基を装備、日本海軍では唯一の装備になった[44]。装備位置は後部甲板中心線上で旋回可能、俯仰で射程を調整する装塡演習砲に似た形状だった[44]

性能改善工事編集

基本情報
艦歴
要目(1938年[13]
排水量 2,047.041英トン[13][10]
水線幅 11.830m[10]
燃料 重油 235トン[13]
乗員 235名[13]
兵装 50口径3年式14cm単装砲3門[13]
13mm連装機銃2基4挺[45]
山ノ内短5cm礼砲2門[13]
九三式爆雷投射機[45]
搭載艇 5隻[13]
ソナー 探信儀[45]
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復元性能は竣工時より問題があり、友鶴事件後の1935年(昭和10年)に浦賀船渠で性能改善工事を実施した[35]。船体は水線付近の外板とフレーム(肋骨)を取り除き、水線幅を片舷で約500mm縮小、同時に水線下にはバルジを装着し、固定バラスト135トンをバルジ内と艦底部分に搭載した[46]。また軽荷状態では海水160トンを補填することにした[46]。上部重量低減のために煙突や後部マストも短縮された[35]

同時に兵装の改正が行われ8cm高角砲は13mm連装機銃に交換、遠距離爆雷投射機も九三式爆雷投射機に交換された[45]。その他探信儀を新設、探信儀の搭載は日本海軍では初期の部類に入る[45]

この時点での主な要目は右表の通り。

艦歴編集

1927年(昭和2年)11月1日、建造予定の敷設艦に「厳島[27][47]、急設網艦に「白鷹」の艦名が与えられる[48][49]。 同日附で2隻(厳島、白鷹)は艦艇類別等級表に記載された[2]。 1928年(昭和3年)2月2日、「厳島」は浦賀船渠で起工[1][50]。1929年(昭和4年)5月22日、進水[1][51]。浦賀造船所工場に厳島艤装員事務所を設置する[52]。 同年12月26日、竣工[1][50]。艤装員事務所も撤去された[53]

竣工後は水雷学校練習艦(昭和5年2月1日より)、横須賀防備隊附属艦として諸訓練や南洋方面を行動[54]1937年(昭和12年)より日中戦争が始まると7月28日附で連合艦隊付属となり[54]、中国大陸方面へ進出[55]。第三艦隊(第十戦隊)、第四艦隊(第十二戦隊)、第三艦隊(第13砲艇隊)等に所属して行動した[56]1940年(昭和15年)11月15日に第十七戦隊が編制されると、同戦隊に編入された[54]

1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦時、本艦以下敷設艦3隻(厳島、八重山辰宮丸)は第三艦隊麾下の第十七戦隊に所属[29][57]。アメリカ艦船の太平洋への移動阻止を目的としてサンベルナルジノ海峡スリガオ海峡への機雷敷設が計画され、サンベルナルジノ海峡への敷設を「厳島」が、スリガオ海峡への敷設を「八重山」が行うこととなった[58]。「厳島」は12月8日にパラオから出撃し、12月11日にビリ島から北西へ九三式機雷300個を敷設して12月14日にパラオに帰投した[59]

1942年(昭和17年)1月1日、蘭印攻略作戦参加のためダバオ到着[60]。1月3日、第三艦隊附属となり、蘭印攻略部隊第2根拠地隊旗艦となる[29]。1月10日、バンカ泊地に向けダバオより出発[61]。1月12日にバンカ泊地の東口に機雷を敷設した[62]

蘭印作戦に従事後の3月10日附で第二南建艦隊に編入(直属:足柄、厳島)。シンガポールを拠点に、東南アジア各地への輸送任務・護衛任務・機雷敷設任務に従事した[54]

1943年(昭和18年)1月29日には千鳥型水雷艇友鶴」の護衛をおこなった[54]。同年11月からは、第四南遣艦隊に所属[63]1944年(昭和19年)8月24日、セレベス島北東端ビートンで[54]B-25中爆ミッチェルの空襲を受けて損傷[29]。「若鷹 (急設網艦)」に曳航されて移動中にオランダの潜水艦Zwaardvischの雷撃により10月7日南緯5度27分 東経112度48分 / 南緯5.450度 東経112.800度 / -5.450; 112.800地点で沈没した[29][22](10月17日とする出典もある[64])。生存者の一部がマニラ方面の海軍陸戦隊に編入されたとの記録が残る[65]

1945年(昭和20年)1月10日、「厳島」は帝国軍艦籍および艦艇類別等級表より除かれた[66][3]

年表編集

歴代艦長編集

※『艦長たちの軍艦史』201-203頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長編集

  • 小山泰治 中佐:1929年5月1日[67] -

艦長編集

  • 小山泰治 大佐:1929年12月26日 - 1930年12月1日
  • 小松輝久 大佐:1930年12月1日 - 1931年11月14日
  • 園田滋 大佐:1931年11月14日 - 1932年12月1日
  • 中村俊久 大佐:1932年12月1日 - 1933年5月25日
  • 堀内茂礼 大佐:1933年5月25日 - 1933年11月15日
  • 金子豊吉 大佐:1933年11月15日 - 1934年10月22日
  • 遠藤昌 中佐:1934年10月22日[68] - 1935年11月15日[69]
  • 伏見宮博義王 中佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
  • 辻村武久 大佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 石川信吾 大佐:1937年12月1日 - 1938年1月30日
  • 一宮義之 大佐:1938年1月30日 - 1938年7月22日
  • 高間完 大佐:1938年7月22日 - 1938年12月15日
  • 森友一 大佐:1938年12月15日 - 1939年11月15日
  • (兼)長谷川喜一 大佐:1939年11月15日 - 1939年12月10日
  • 高橋一松 大佐:1939年12月10日 - 1940年11月15日
  • 香春克己 大佐:1940年11月15日 - 1941年9月12日[70]
  • 森川亦男 大佐:1941年9月12日 -
  • 柳川正男 中佐:1942年6月1日 -
  • 大石新一 大佐:1944年6月1日 -

参考文献編集

  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の2』明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十一の2』明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 『日本海軍特務艦船史』世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。
  • 寺崎隆治ほか『補助艦艇奮戦記 縁の下の力持ち支援艦艇の全貌と戦場の実情』潮書房光人社、2016年6月。ISBN 978-4-7698-1620-1
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍補助艦艇戦歴一覧 水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、一等輸送艦、二等輸送艦、敷設艇、電纜敷設艇、哨戒艇、駆潜艇、水雷艇、海防艦、砲艦、特務艦、全三三二隻の太平洋戦争
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2
  • 福田啓二/編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
  • 牧野茂福井静夫/編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4
  • 写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II 敷設艦・敷設艇 特設巡洋艦 二等駆逐艦 魚雷艇・震洋艇 雑務船・内火艇 病院船他/日本海軍作戦年表』雑誌『』編集部/編、光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4
  • 「敷設艦 一般計画要領書 附現状調査」。
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第026巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社
  • 官報
  • 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。
    • 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1935年版』海軍研究社、1935年5月。
    • 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』海軍研究社、1937年2月。
    • 海軍研究社編輯部 編『日本軍艦集 2600年版』海軍研究社、1940年7月。
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷) info:ndljp/pid/1886711』海軍大臣官房、1939年。
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『(昭和4年)公文備考 F艦舩 巻1/補助航空母艦一隻製造の件』。Ref.C04016677600。
    • 『(昭和4年)公文備考 F艦舩 巻6/特務艦燕進水期日の件(1)』。Ref.C04021847700。
    • 『(昭和4年)公文備考 F艦舩 巻6/司令駆逐艦変更の件(4)』。Ref.C04021847600。
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
    • 『明治38年 達 完/6月』。Ref.C12070053000。
    • 『昭和2年達完/11月』。Ref.C12070088800。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(2)』。Ref.C12070503600。
    • 『昭和15年12月25日現在10版内令提要追録第8号原稿/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。Ref.C13071993800。
    • 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071997700。
    • 『附表/第1表 海軍陸上部隊(航空部隊を除き被害艦船乗員を含む)兵力表/1.1944年10月18日現在』。Ref.C14061098600。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.2では吃水線幅(公試)11.83mとなっているが、#軍艦基本計画資料Sheet64によると性能改善工事後の値。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g #海軍制度沿革(巻11、1940)p.570『厳島|敷設艦|100.00|12.75|3.08|1,970|16.0|227|5|浦賀船渠會社|昭和3-2-2|昭和4-5-22|昭和4-12-26|14c/m…3 8c/m高角…2|―|―|2|羅式内火機械3| |3|3,000』
  2. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和二年十一月一日(内令三五五)艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 別表敷設艦ノ項中「常磐」ノ下ニ「、嚴島」ヲ、同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |急設網艦| |白鷹|』
  3. ^ a b c #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 厳島|呉鎮守府在籍 軍艦 八十島|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 神鷹|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 曙、驅逐艦 満潮、驅逐艦 朝雲、驅逐艦 山雲、驅逐艦 野分、驅逐艦 早霜、驅逐艦 秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦 霜月|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦風、驅逐艦 島風|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 秋風、驅逐艦 卯月、驅逐艦 夕月、驅逐艦 初春|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 長波、驅逐艦 濱波、驅逐艦 沖波、驅逐艦 岸波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  4. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.320-323
  5. ^ #S4公文備考F艦船1/補助航空母艦一隻製造の件画像9、電報訳『三、二、二、前一〇―五 浦賀発 一〇―八着 浦賀船渠社長 大臣 敷設艦嚴島本日起工ス』
  6. ^ #S4公文備考F艦船6/特務艦燕進水期日の件(1)画像12、電報訳『四、五、二二、后四―五 浦賀局発 四―四七 海軍省着(四〇四) 浦賀船渠會社々長 海軍大臣 敷設艦厳島二十二日午後四時無事進水ス』
  7. ^ #S4公文備考F艦船6/司令駆逐艦変更の件(4)画像18、電報訳『四、一二、二六、前九―二五 浦賀發 前一〇―? 海軍省着(八六七) 厳島艦長 海軍大臣 嚴島工事完成本日午前九時十分受領ス 二六日』
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n #一般計画要領書(敷設艦)p.2、『註.上記計画ハ(以下特記ノ外同様)昭和三年四月計画当初ノモノヲ示ス』
  9. ^ a b #軍艦基本計画資料Sheet18
  10. ^ a b c #軍艦基本計画資料Sheet64、昭和4年12月25日の重心検査試験(竣工時)と昭和10年3月30日の重心検査試験(復元性能改善工事後)の値
  11. ^ a b c #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1087-1111、昭和6年4月29日(内令79)艦船要目公表範囲。
  12. ^ a b c #一般計画要領書(敷設艦)p.16
  13. ^ a b c d e f g h #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」
  14. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1712
  15. ^ a b #軍艦基本計画資料Sheet115
  16. ^ a b c d e f #日本海軍特務艦船史(1997)p.66
  17. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.18、士官13人、特務士官2人、准士官6人、下士官50人、兵150人
  18. ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.700-701『昭和四年十一月十二日(内令二五三) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 敷設艦定員表其五ヲ別表ノ如ク定ム』(第五十六表ノ三 敷設艦定員表 其五)。士官13人、特務士官2人、准士官6人、下士官51人、兵163人。
  19. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.18の現状値。士官11人、特務士官2人、准士官6人、下士官50人、兵158人
  20. ^ a b #一般計画要領書(敷設艦)p.4
  21. ^ a b c #一般計画要領書(敷設艦)p.6
  22. ^ a b c d 『敷設艦 厳島』田村尚也 歴史群像 2006年8月号 P14-17 学習研究社
  23. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.20
  24. ^ #一般計画要領書(敷設艦)p.12
  25. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.67『敷設艦"嚴島 いつくしま" 全要目{排水量1,970噸 速力16.0節 備砲14糎砲3門 8糎高角砲2門 起工昭和3年2月 竣工昭和4年12月 建造所浦賀船渠會社} 敷設艦は機械水雷を敷設する軍艦である。我が海軍の有する敷設艦は計6隻。即ち"常磐 ときは"(これは排水量9,240噸で速力21.25節、敷設艦中の最大なるものであるが元の一等巡洋艦を敷設艦に設備替したもの) "勝力 かつりき" "白鷹 しらたか" "八重山 やへやま"及びこの嚴島との計5隻と現在建造中の"沖島 おきのしま"とである。嚴島は全長100米、最大幅12.75米、平均吃水3.08米。尚序に他の敷設艦の噸籔を記すると白鷹1,345噸、勝力1,540噸、八重山1,135噸、既成艦計5隻の合計排水量は15,320噸である。』
  26. ^ #艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.3『軍艦|敷設艦|勝力、常磐、嚴島、白鷹、八重山、沖島、津輕』
  27. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.202『◎敷設艦嚴島命名ノ件 昭和二年十一月一日(達一二九)昭和ニ年度艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手スヘキ敷設艦一隻ニ左ノ通命名ス 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 イツクシマ
  28. ^ a b #日本軍艦集2600年版p.64『―敷設艦―嚴島(いつくしま) 基準排水量1,970噸、長さ100米、幅12.75米、平均吃水3.08米、速力16節、備砲14糎砲3門、8糎高角砲2門、起工昭和3年2月2日、進水昭和4年5月22日、竣工昭和4年12月26日、建造所浦賀船渠會社―八重山に次ぐ新艦。沖島、嚴島に比し速力は遅いが、排水量の割合に備砲が優れてゐる。』
  29. ^ a b c d e f g h i #補助艦艇奮戦記171頁『厳島(いつくしま)』
  30. ^ a b #日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』
  31. ^ #写真日本の軍艦第14巻2頁『艦名の由来』-『厳島(いつくしま)―名勝名』
  32. ^ a b c #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.38『嚴島(いつくしま)【初代】 艦種海防艦 一檣(戰闘檣あり) 艦名考名所名にして、日本三景の一なる安藝國嚴島に採る。艦歴明治24年9月佛國にて竣工、同年11月佛國出發、同25年5月品川灣到着、松島・橋立と姉妹艦なり。(略)大正元年8月二等海防艦に編入、同8年4月1日除籍。|―要目―(略)』
  33. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.146『嚴島(いつくしま)【二代】 艦種敷設艦 艦名考初代「嚴島」の項参照(p.48)。艦歴此の艦は日本に於ける最初のディーゼル機關を有する軍艦である。|―要目― 長100.00米/幅12.75米/喫水3.08米/排水量1,970噸/機關ディーゼル3基/馬力3,000/速力16/兵装14糎砲3 8糎高角等2/起工 昭和3-2-2/進水 同4-5-22/竣工 同4-12-26/建造所 浦賀船渠會社』
  34. ^ a b c d #日本補助艦艇物語48頁『(3) 厳島いつくしま(二代)』
  35. ^ a b c d e f g h i j k l m #写真日本の軍艦第14巻31-33頁『◇厳島◇』
  36. ^ #写真日本の軍艦第14巻44頁(厳島艦尾写真)
  37. ^ #写真日本の軍艦第14巻42頁(厳島右舷側写真)
  38. ^ #写真日本の軍艦第14巻42-43頁『"厳島"が装備したエルツ舵=佐藤健一郎』
  39. ^ #海軍造船技術概要(1987)p.789
  40. ^ #海軍造船技術概要(1987)pp.789-790
  41. ^ #写真日本の軍艦第14巻42-43頁(厳島左舷側面写真)
  42. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)p.790
  43. ^ #写真日本の軍艦第14巻40頁(厳島竣工時写真)
  44. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)pp.790-791
  45. ^ a b c d e #海軍造船技術概要(1987)p.793
  46. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)p.792
  47. ^ #達昭和2年11月p.1『達第百二十九號 昭和ニ年度艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手スヘキ敷設艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和二年十一月一日 海軍大臣 岡田啓介 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 イツクシマ
  48. ^ #達昭和2年11月p.1『達第百三十號 昭和ニ年度艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手ノ急設網艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和二年十一月一日 海軍大臣 岡田啓介 株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 シラタカ
  49. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.202『◎急設網艦命名ノ件 昭和二年十一月一日(達一三〇) 昭和ニ年度艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手ノ急設網艦一隻ニ左ノ通命名ス 株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 シラタカ
  50. ^ a b #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.18『厳島|敷設艦|100.00|12.75|3.08|1,970|16.0|5|浦賀船渠會社|昭和3-2-2|昭和4-5-22|昭和4-12-26|14c/m…3 8c/m高角…2|―|2|羅式内火機械3|―|3|3,000』
  51. ^ 昭和4年5月23日(木)海軍公報第704号 p.46』 アジア歴史資料センター Ref.C12070320800 『○軍艦進水 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造ノ軍艦嚴島本月二十二日午後四時進水セリ』
  52. ^ 昭和4年5月24日(金)海軍公報第705号 p.5』 アジア歴史資料センター Ref.C12070320900 『○事務所設置 軍艦嚴島艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置シ本月十三日ヨリ事務ヲ開始セリ』
  53. ^ 昭和4年12月28日(土)海軍公報第885号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C12070323600 『○事務所撤去 軍艦嚴島艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社内ニ設置中ノ處本月二十六日撤去セリ』
  54. ^ a b c d e f #写真日本の軍艦第14巻50-51頁(『敷設艦』行動年表◇厳島◇)
  55. ^ #写真日本の軍艦第14巻46-47頁(厳島中国戦線写真)
  56. ^ #写真日本の軍艦第14巻41頁(厳島左舷写真)
  57. ^ #戦隊行動調書p.18『17S』-『編制(旗艦)嚴島 八重山 辰宮丸』
  58. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、224-226ページ
  59. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、226、228-229ページ
  60. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、304ページ
  61. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、169ページ
  62. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、181ページ
  63. ^ #写真日本の軍艦第14巻49頁(厳島昭和17年7月18日写真)
  64. ^ Brown, David (1990). Warship Losses of World War Two. Naval Institute Press. ISBN 1-55750-914-X.
  65. ^ #海軍陸上部隊(10月18日)p.2『一、一九四四年十月十八日現在|方面:北比|地區:マニラ|所轄:嚴島|員數:二二|(以下略)』
  66. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「八十島」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同「卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風」「、野分」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波」「、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同「島風」ヲ削ル(以下略)』
  67. ^ 『官報』第699号、昭和4年5月2日。
  68. ^ 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
  69. ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  70. ^ 海軍辞令公報(部内限)第710号 昭和16年9月12日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100