厳島 (防護巡洋艦)

厳島(いつくしま)は日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍防護巡洋艦である。1891年9月3日竣工し、第一種に編入。1898年3月21日、二等巡洋艦に類別された。「三景艦」と呼ばれた松島型防護巡洋艦の二番艦である。

Japanese cruiser Itsukushima.jpg
基本情報
艦歴
発注 1886年
起工 1888年1月7日
進水 1889年7月18日
就役 1891年9月3日
退役 1925年4月14日に廃船
除籍 1926年3月12日
その後 1926年にスクラップとして処分
要目
基準排水量 4,217トン
全長 89.9m
最大幅 15.6m
吃水 6.4m
機関 2軸レシプロ蒸気機関 円罐6基 5,400馬力
最大速力 16.0ノット
乗員 360名
兵装 32cm砲1門
12cm砲11門
47mm砲5門
35.6cm魚雷発射管4門
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概要編集

 
艦首から撮影された本艦。(1897年)

建造にいたる経緯については、松島を参照。主砲であるカネー社製32cm(38口径)単装砲は、松島と違い前部甲板に据え付けられたため、艦形としては収まりがよい。また、副砲以下の装備についても若干相違がある。

日露戦争では第三艦隊旗艦として活躍し、日本海海戦においてバルチック艦隊発見を受電して急行、その後バルチック艦隊と並走して東郷平八郎司令長官に向け、正確な位置、隊形、針路などを詳細に通報し、海戦の前座を見事に務めた。

なお、松島型二番艦とするのが普通であるが、松島より先に起工、竣工しているため、厳島型と呼ばれることもある。

艦歴編集

 
本艦の武装・装甲配置を示した図。
  • 明治21年(1888年)1月7日 フランス 地中海鉄工造船所で起工
  • 明治22年(1889年)7月18日 進水式
  • 明治24年(1891年)9月3日 竣工、回航
  • 明治27年(1894年)8月1日 日清戦争開戦、連合艦隊本隊所属
  • 明治27年(1894年)9月17日 黄海海戦
  • 明治28年(1895年)2月 威海衛攻撃終了、清国降伏
  • 明治31年(1898年)3月21日 二等巡洋艦
  • 明治37年(1904年)2月10日 日露戦争開戦、第三艦隊旗艦
  • 明治38年(1905年)5月27、28日 日本海海戦
  • 明治45年(1912年)8月28日 二等海防艦
  • 大正8年(1919年)4月1日 雑役船(厳島丸と改称)
  • 大正9年(1920年)7月1日 特務艇(厳島と改称)潜水艦母艇、潜水学校浮校舎として使用され、9月15日雑役船に編入
  • 大正14年(1925年)4月14日 廃船
  • 大正15年(1926年)3月12日 除籍
  • 昭和14年(1939年)10月14日 舞鶴飯野商事会社呉支店に売却
  • 昭和15年(1940年)7月 呉吉浦で解体

艦長編集

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長
  • 磯辺包義 大佐:1891年4月13日 - 1892年7月12日
  • 伊地知弘一 大佐:1892年9月5日 - 1894年2月26日
  • 尾形惟善 大佐:1894年2月26日 - 3月21日
  • 横尾道昱 大佐:1894年6月28日 - 12月17日
  • 有馬新一 大佐:1894年12月17日 - 1895年6月5日
  • 松永雄樹 大佐:1895年9月28日 - 1896年8月13日
  • 平尾福三郎 大佐:1896年8月13日 - 1898年10月1日
  • 斎藤実 大佐:1898年10月1日 - 11月10日
  • 舟木錬太郎 大佐:1898年11月10日 - 1899年3月22日
  • 細谷資氏 大佐:1899年3月22日 - 1899年10月13日
  • 新島一郎 大佐:1900年6月19日 - 1901年8月30日
  • 松本和 大佐:1902年10月23日 - 1903年9月26日
  • 成田勝郎 大佐:1903年10月15日 - 1904年6月19日
  • 丹羽教忠 大佐:1904年6月19日[1] - 1905年1月12日
  • 土屋保 大佐:1905年1月21日 - 1906年10月12日
  • 名和又八郎 大佐:1906年10月12日 - 1907年8月5日
  • 小花三吾 大佐:1907年8月5日 - 1908年9月1日
  • 田中盛秀 大佐:1908年9月1日 - 12月10日
  • 笠間直 大佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
  • (兼)小黒秀夫 大佐:1910年6月3日 - 6月22日
  • 田所広海 大佐:1910年6月22日 - 9月28日
  • 秀島成忠 大佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
  • 南里団一 大佐:1911年12月1日 - 1913年11月5日
  • 久保来復 大佐:1913年11月5日 - 1914年8月23日
  • 増田高頼 大佐:1914年12月1日 - 1915年5月1日
  • (兼)岡田三善 大佐:1915年5月1日 - 1916年3月15日
  • (兼)本田親民 大佐:1916年3月15日 - 12月1日
  • (兼)糸川成太郎 大佐:1916年12月1日 - 1918年12月1日[2]
  • (兼)福田貞助 大佐:1918年12月1日 -

脚注編集

  1. ^ 明治三十七年辞令通報 6月」 アジア歴史資料センター Ref.C13071937900 
  2. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。

参考文献編集

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目編集