合原村
日本の岐阜県不破郡にあった村
合原村(あいはらむら)は、かつて岐阜県不破郡に存在した村である。
あいはらむら 合原村 | |
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廃止日 | 1954年12月1日 |
廃止理由 |
編入 合原村 → 垂井町 |
現在の自治体 | 垂井町・養老町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 不破郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 2.40[1] km2. |
総人口 |
918人 (1954年11月30日) |
隣接自治体 | 不破郡垂井町、養老郡養老町、牧田村 |
合原村役場 | |
所在地 | 岐阜県不破郡合原村栗原1469 |
座標 | 北緯35度20分10秒 東経136度32分57秒 / 北緯35.33622度 東経136.54911度座標: 北緯35度20分10秒 東経136度32分57秒 / 北緯35.33622度 東経136.54911度 |
ウィキプロジェクト |
村名は、合原村を構成した旧村(栗原村、室原村)に「原」がつくことからという。
沿革
編集学校
編集合原村から垂井町および養老町に分離編入後は、以下の教育機関への編成がなされている。また、合併後の室原地区については小学校は地区内に存在せず、また1947年(昭和22年)以降の新制中学校についても室原地区には教育機関が存在しなかった。従って、養老町編入前における室原地区の教育機関は「合原小学校」しか存在していない。なお、合原小学校は1900年(明治33年)3月に現在の所在地(栗原地区)に移転したため、室原地区に合原小学校が存在したのは3年間のみである。 一方栗原地区では新制中学校において垂井町・表佐村・宮代村 (岐阜県不破郡)・綾戸村・府中村と組合立不破中学校を建設していた。
分離の原因
編集- 合原村のうち、栗原地区(旧・栗原村)は比較的山間部なのに対し、室原地区(旧・室原村)は比較的平野部である。室原地区は水田地帯であり、農業用水や排水施設などで養老郡小畑村とのつながりが深かったという。
- 合原村は当初、垂井町との合併が決定していたが、養老郡とのつながりが深い室原地区の住民が反発。このため合原村は栗原地区と室原地区に分裂してしまう。最終的には話し合いにより分立となるが、この問題により同時期(1954年(昭和29年)9月10日)に垂井町と合併した村より約2ヶ月遅れ(同年12月1日)での垂井町への編入となった[3]。
- 合原村の栗原地区と室原地区の対立は、一説によると、戦時中の米供出の負担の割合で、栗原地区と室原地区の間で対立が発生したのが遠因という。
脚注
編集- ^ 1954年11月2日時点では4.20
- ^ “町村の廃置分合”. 総理府告示第952号. 養老町 (1954年11月2日). 2019年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月28日閲覧。
- ^ a b “岐阜県告示第575号”. 垂井町合併経過資料 (1954年11月29日). 2019年3月28日閲覧。
- ^ 垂井町に編入後は、旧栗原村(垂井町栗原)における小学校の学区のみとなっている。
- ^ a b c “公共施設ガイド”. 垂井町 (2015年2月20日). 2015年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月11日閲覧。
- ^ a b “垂井町立学校の通学区域等を定める規則” (1977年1月12日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月11日閲覧。
- ^ a b “養老町立小・中学校通学区域”. 養老町 (2013年1月21日). 2016年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月11日閲覧。(旧合原村分離による養老町に編入後によるもの)]