吉田 兄人(きった の えひと)は、奈良時代貴族医師典薬頭吉宜の近親か。官位従五位下紫微少忠

 
吉田兄人
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下紫微少忠
主君 聖武天皇孝謙天皇
氏族 吉田連
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経歴

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聖武朝天平20年(748年)10月の皇后宮正七位上侍医兼皇后宮大属河内大目と名前が現れている[1]

天平感宝元年(749年)、蓋高麻呂とともに正六位上から従五位下に昇叙する。これは聖武天皇の病床に侍した労を、黄金産出を機に酬いたものと考えられている[2]。ほどなくして、皇后宮職紫微中台に改編されると、出雲屋麻呂中臣丸張弓葛木戸主とともに紫微少忠となり、引き続き光明皇太后に仕えている。天平勝宝3年(751年)10月、内位の従五位下になった。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『大日本古文書』巻三 - 123頁
  2. ^ 岩波書店『続日本紀』3補注十七 - 49

参考文献

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