君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - 1971年1月3日)は、日本の経営者茨城県出身[1]

経歴 編集

1922年小樽高等商業学校を卒業し、同年に川崎汽船に入社[1]1946年11月に取締役に就任し、専務を経て、同年12月に社長に就任[1]1950年8月に川崎重工業専務に就任し、1963年6月から1965年2月まで副社長を務めた[1]

1964年11月に藍綬褒章を受章し、1967年11月に勲三等瑞宝章を受章[1]

1971年1月3日心筋梗塞のために死去[2]。72歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1969, き120頁.
  2. ^ 1971年 1月5日 読売新聞 朝刊 p15

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。 
先代
鋳谷正輔
川崎汽船社長
1946年 - 1950年
次代
服部元三