君津市立君津中学校

千葉県君津市にある中学校

君津市立君津中学校(きみつしりつ きみつちゅうがっこう)は、千葉県君津市杢師にある公立中学校

君津市立君津中学校
地図北緯35度19分35.86秒 東経139度54分35.63秒 / 北緯35.3266278度 東経139.9098972度 / 35.3266278; 139.9098972座標: 北緯35度19分35.86秒 東経139度54分35.63秒 / 北緯35.3266278度 東経139.9098972度 / 35.3266278; 139.9098972
過去の名称

君津町・貞元村組合立中学校

君津町立君津中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 君津市
校訓

文武両道・豊かな心 志を掲げ 前へ

自立した社会人としての素地を培う
設立年月日 1947年5月10日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C112210002618 ウィキデータを編集
中学校コード 120228[1]
所在地 299-1163
千葉県君津市杢師1-10-1
外部リンク 公式サイト (日本語)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

君津市の市街地に位置する学校であり、全校生徒数は500人以上。全15学級である。通称は君中(くんちゅうと呼ぶ。これは死語に近い)、君津中(きみつちゅう)または君中(きみちゅう)。君中(きみちゅう)呼びが多くなっている。主な特徴として、出席番号は氏名50音順、登下校時以外はジャージまたは体操服で生活する、雨の日はジャージまたは体操服のまま下校して良い(ジャージ下校可の略でジャーゲと呼ばれる)、プールが壊れており水泳授業がない、下校時刻を知らせる音楽に『彼方の光』が用いられる、などがある。

著名な卒業生として千葉真一がいる[2]

沿革 編集

経緯 編集

かつての水産業を中心とした旧君津町から、昭和36年より臨海部の埋め立てにより進出した新日本製鐵およびその関連企業により地域が大きく変貌し、人口の増加により住宅地域や商業地域へと急激な発展をとげた。これに関連し生徒数は急増し、昭和43年周西中学校を分離。その後も増加し1500名を超え、昭和62年には八重原中学校を分離。その後しばらくは人口動態に大きな変動はみられなかった。現在は生徒数の減少により560名あまりとなっている。

年表 編集

  • 1947年(昭和22年)5月10日 - 創立。
  • 1948年(昭和23年)3月2日 - 君津町・貞元村組合立中学校として開校。
  • 1954年(昭和29年)3月2日 - 君津町・貞元村組合立中学校を君津町立君津中学校と改称。
  • 1956年(昭和31年)9月2日 - 校旗・校歌(白鳥省吾作詞[3])制定。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 君津中学校から周西中学校分離。
  • 1971年(昭和46年)9月1日 - 君津町立君津中学校を君津市立君津中学校と改称。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 君津中学校から八重原中学校分離。

学校行事 編集

生徒会活動 編集

部活動 編集

運動系部活動 編集

文化系部活動 編集

通学区域 編集

進学前小学校 編集

  1. 南子安小学校
  2. 君津市立北子安小学校
  3. 君津市立貞元小学校

ただし、他の小学校から進学し君津市立君津中学校へ入学する生徒も多い。

交通 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 千葉県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2018年8月14日閲覧。
  2. ^ 千葉真一「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」『千葉流 サムライへの道』(初版第1刷)ぶんか社、2010年9月20日、89頁。ISBN 4821142694OCLC 662404923 
  3. ^ 君津市立君津中学校トップページ>学校案内>沿革

外部リンク 編集