和歌ノ海忠次郎
和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属[1][2]。和歌山県田辺市出身[1][2]。本名は峰 忠次郎(みねただ じろう)[1][2]。身長180cm、体重92kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、押し。
経歴
編集1937年1月場所に初土俵を踏む。1943年5月場所に十両に昇進[1][2]。この場所は5勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に陥落した。1945年6月場所に十両に復帰したが、3勝4敗と負け越した。翌11月場所は初日から全休、この場所限りで26歳で廃業した[1][2]。左四つの相撲が得意だったが、押し相撲でも良く、組んでも離れても巧さが光る取り口であった[3]。
主な成績
編集- 通算成績:69勝52敗14休 勝率.570
- 十両成績:8勝14敗10休 勝率.364
- 現役在位:19場所
- 十両在位:3場所
場所別成績
編集春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1937年 (昭和12年) |
(前相撲) | (前相撲) | x | |||
1938年 (昭和13年) |
西序ノ口27枚目 6–1 |
東序二段18枚目 4–3 |
x | |||
1939年 (昭和14年) |
西三段目39枚目 7–0 |
西幕下38枚目 2–2–4 |
x | |||
1940年 (昭和15年) |
東三段目2枚目 6–2 |
西幕下23枚目 4–4 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
東幕下17枚目 4–4 |
東幕下12枚目 4–4 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
西幕下11枚目 3–5 |
西幕下17枚目 6–2 |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
東幕下4枚目 4–3 |
西十両15枚目 5–10 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
西幕下4枚目 4–4 |
東幕下筆頭 3–3 |
東幕下筆頭 4–1 |
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1945年 (昭和20年) |
x | 東十両6枚目 3–4 |
西十両9枚目 引退 0–0–10 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 峯 忠次郎(みね ちゅうじろう)1937年1月場所 - 1942年1月場所
- 和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう)1942年5月場所 - 1945年11月場所
脚注
編集参考文献
編集- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
関連項目
編集外部リンク
編集- 和歌ノ海 忠次郎 - 相撲レファレンス