国兼 孝治(くにかね こうじ[1]1917年大正6年)11月20日[2] - 1994年平成6年)2月24日[3][1])は、日本政治家北海道岩見沢市長1970年 - 1990年)。岩見沢市名誉市民

経歴

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北海道空知郡奈井江町出身[2]1942年(昭和17年)自治講習所[2]。同年、岩見沢町役場に入庁[2]。その後総務部課長、同部長等を経て、1970年(昭和45年)の岩見沢市長選に川村芳次のあとを受け出馬。初当選し、以後連続5期務めた[2]。市長在職中の20年間は日本水道協会理事、桂沢水道企業団企業長、1980年(昭和55年)に全国水道企業団協議会会長1983年(昭和58年)には全国市長会副会長も務める。

1990年(平成2年)に引退[2]1992年(平成4年)には岩見沢市名誉市民に選出される[1]

1994年2月24日、食道がんのため76歳で死去[1]

岩見沢市郊外の北本町には、国兼家の元住宅(1917年築)が1978年(昭和53年)に市の指定文化財となり保存されている。

受賞歴

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主な業績

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下水道整備・普及や岩見沢市立総合病院改築など都市基盤整備に力を注ぎ[1]1985年『岩見澤百年史』編纂事業を完成させる。また、1986年には、当時の地方都市としては異例の地方博覧会「北海道21世紀博覧会」を開催[1]。博覧会会場は閉幕後三井グリーンランド(現・北海道グリーンランド)として活用されている。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 国兼孝治氏 岩見沢市政連続5期 - 北海道新聞1994年2月24日夕刊15面
  2. ^ a b c d e f g 『現代政治家人名事典』161頁。
  3. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、7頁。

参考文献

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  • 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
先代
川村芳次
岩見沢市長
第5代:国兼孝治 1970 - 1990
次代
能勢邦之