国民協進会(こくみんきょうしんかい)は、中華民国初期の公開政党范源濂籍忠寅らを指導者とする立憲派系統の政党である。

民国成立直後の1912年民国元年)2月18日に天津で結成され、まもなく北京に拠点を移した。構成員の大部分は、末の立憲派団体である憲友会辛亥倶楽部の出身者である。会長職は設けず、范源濂、籍忠寅ら18人を常務幹事として執行部を形成した。

政綱としては、共和政治の確立、統一主義の確定、社会的力量(原文「社会実力」)の発展の3点を掲げた。また、袁世凱を支持し、孫文(孫中山)とは敵対する傾向を有していた。

1912年5月、統一党民社、国民党[1]、民国公会と合併し、共和党となった。

  1. ^ 宋教仁が組織した国民党とは別個の政党である。

参考文献

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  • 謝彬『民国政党史』1924年(中華書局版、2007年、ISBN 978-7-101-05531-3
  • 李松林主編『中国国民党史大辞典』安徽人民出版社、1993年。ISBN 7-212-00630-0