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堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年8月29日)は、日本政治家。元日本社会党衆議院議員

人物編集

京都府京都市出身。大阪大学医学部を卒業し、太平洋戦争では海軍軍医として作戦に参加した。戦後に、1942年2月のシンガポール華僑粛清事件について国会で発言している[1]日本医師連盟公認での衆院選出馬、落選を経て、1958年第28回衆議院議員総選挙旧兵庫2区から出馬して初当選し、以後11回当選した。社会党内では右派の系譜に属し、武藤山治佐藤観樹と「堀グループ」を形成した。

西欧の社会民主主義を手本に、教条的なマルクス・レーニン主義からの変節を求めた。また、衆議院大蔵委員会の委員を長く務め、社会党きっての財政通として知られた。党政策審議会長、党副委員長などを歴任後、1993年、政界引退した。

1997年8月29日、肺炎のため死去した。享年80。

脚注編集

  1. ^ 「第1類第5号 第55回国会衆議院 大蔵委員会議録第10号」昭和42年5月10日、3頁。


党職
先代:
北山愛郎
日本社会党政策審議会長
第9代 : 1972年 - 1977年
次代:
武藤山治