堀 直哉(ほり なおちか、寛政10年3月16日1798年5月1日) - 文政13年9月3日1830年10月19日))は、江戸時代後期の大名で、越後椎谷藩第11代藩主。椎谷堀家14代。肥前唐津藩主・水野忠光の五男。兄に水野忠邦らがいる。正室は岸和田藩主・岡部長備の娘。子は之敏(長男)、跡部敏偶(次男)。通称は順助、三右衛門。官位は従五位下、近江守。

文化9年(1812年)7月10日、先代藩主・直温の養子となり、家督を相続した。同年7月28日、将軍徳川家斉御目見した。文化10年12月16日、従五位下・近江守に叙任した。文化12年(1815年)2月2日、大坂加番を命じられる。同年7月江戸を出発し、大坂城を守備し、翌年8月江戸に戻る。文政2年(1819年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。文政4年12月24日、大番頭に就任する。在任中は大坂城や二条城に守備にあたる。文政13年(1830年)死去し、跡を長男の之敏が継いだ。