塩屋 義之(えんや よしゆき、1910年4月3日 - 1992年10月27日)は、日本の経営者山口県出身[1]

来歴・人物 編集

1932年明治大学専門部商学科を卒業し、同年に西部ガスに入社[1]1960年2月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1974年1月に社長に就任し、1982年6月には会長に就任[1]1990年6月から相談役を務めた[1]

1972年10月に藍綬褒章を受章し、1986年11月に勲二等瑞宝章を受章[1]

1992年10月27日心不全のために死去[2]。82歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1991, え44頁.
  2. ^ 1992年 10月28日 日本経済新聞 朝刊 p39

参考文献 編集

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 上』興信データ、1991年。 
先代
井原伍郎
西部ガス社長
1974年 - 1982年
次代
和智午郎