大久保村 (埼玉県)

日本の埼玉県北足立郡にあった村

大久保村(おおくぼむら)は、かつて埼玉県北足立郡に存在した村で、1955年に隣の土合村とともに浦和市へ編入され消滅した。

おおくぼむら
大久保村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
大久保村土合村浦和市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 10.35 km2.
総人口 3,942
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 大宮市、北足立郡与野町、土合村、植水村馬宮村宗岡村入間郡南畑村
大久保村役場
所在地 埼玉県北足立郡大久保村
座標 北緯35度52分13秒 東経139度35分52秒 / 北緯35.87025度 東経139.59783度 / 35.87025; 139.59783 (大久保村)座標: 北緯35度52分13秒 東経139度35分52秒 / 北緯35.87025度 東経139.59783度 / 35.87025; 139.59783 (大久保村)
大久保村の県内位置図
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概要

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現在のさいたま市桜区北部にあたる沖積平野に位置する。1889年に9つの村が合併して発足した。これら9つの旧村名は以後も大字として継承され、現在もさいたま市桜区内の町域名(植田谷領在家は「在家」、植田谷領領家は「大久保領家」にそれぞれ変更されている)となっている。

2005年現在のこの地区には埼玉大学がある。住宅街が広がっているが荒川河川敷周辺には農地も多く残る。

沿革

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  • 1871年明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
  • 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡上大久保村・下大久保村・五関村・植田谷領領家村・植田谷領在家村・宿村・塚本村・白鍬村・神田村・植田谷本村新田の一部が合併し、大久保村が成立する[1]。村名は大村である上・下大久保村が新村名として採用された。
  • 1955年昭和30年)1月1日 - 土合村とともに浦和市へ編入される[2]大久保村消滅。大字はほかは浦和市へ継承され、大字領家が大字大久保領家に改称された[1]
  • 2001年平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併しさいたま市となり、さいたま市の大字となる。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、旧大久保村域が桜区となる。

脚注

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、93頁。ISBN 4040011104 

関連項目

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