大原 室子(おおはら の むろこ、生年不明 - 延暦8年10月29日789年11月21日))は、奈良時代後期の女官真人官位従四位下命婦

出自 編集

聖武朝天平11年(739年)4月の、高安王らが前年10月29日の上表文により大原真人姓を授かられ、臣籍降下した際[1]、一族の今城宿奈麻呂らとともに臣籍降下したと想定される。あるいは、天平11年以後の生まれか。

生涯 編集

光仁朝宝亀4年(773年)閏11月、無位から従五位下に叙され[2]、この頃に後宮に出仕したものと推定される。父親の大原高安天平14年12月19日743年1月19日)になくなっていることから鑑みて、かなり遅い出仕であったものと思われる。

桓武朝天応2年(782年)6月、正五位下延暦2年(783年)には正四位上藤原教貴紀宮子平群邑刀自藤原産子正四位下藤原諸姉に次ぐ従四位下に昇進し[3]、後宮での地位を高めてきたが、それ以上の昇叙はなく、延暦8年(789年)10月に卒去。この時、「命婦」と記されている[4]

官歴 編集

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本紀』巻第十三
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十二
  3. ^ 『続日本紀』巻第三十七
  4. ^ 『続日本紀』巻第四十

参考文献 編集