大塚堅之助
日本の陸軍軍人
大塚 堅之助(おおつか けんのすけ、1882年(明治15年)7月2日[1] - 1962年(昭和37年)11月22日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集愛知県出身[1][2]。1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業し[1]、翌年6月、歩兵少尉に任官[3]。1913年(大正2年)11月、陸軍大学校(25期)を卒業し[1][2]、陸軍歩兵学校に配属された[4]。
1924年(大正13年)8月、歩兵大佐に昇進し、陸軍戸山学校教官となり、さらに同校教育部長を務める[2]。1926年(大正15年)7月、歩兵第33連隊長に就任。1928年(昭和3年)3月、第1師団参謀長に転じた[2]。
1930年(昭和5年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第16旅団長に就任[2]。1931年(昭和6年)3月、近衛歩兵第1旅団長に転じた[1][2]。第16師団司令部付を経て、1933年(昭和8年)3月、台湾軍参謀長となる[1][2]。
1934年(昭和9年)1月、第7師団留守司令官に就任し、同年3月、陸軍中将に進んだ[1][2]。1935年(昭和10年)3月に待命、そして予備役編入となった[1][2]。
栄典
編集- 位階
- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]