大室244号墳(おおむろにひゃくよんじゅうよんごうふん、将軍塚古墳)は、長野県長野市松代町大室にある古墳。形状は円墳大室古墳群(うち大室谷支群 村東単位支群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「大室古墳群」のうち)。

大室244号墳

復元墳丘・石室開口部
別名 将軍塚古墳/大塚穴
所属 大室古墳群
(大室谷支群 村東単位支群)
所在地 長野県長野市松代町大室
位置 北緯36度35分38.62秒 東経138度13分33.45秒 / 北緯36.5940611度 東経138.2259583度 / 36.5940611; 138.2259583座標: 北緯36度35分38.62秒 東経138度13分33.45秒 / 北緯36.5940611度 東経138.2259583度 / 36.5940611; 138.2259583
形状 円墳
規模 直径21m
高さ8m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 金銅製鈴・須恵器土師器
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
史跡 国の史跡「大室古墳群」に包含
地図
大室 244号墳の位置(長野県内)
大室 244号墳
大室
244号墳
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概要 編集

長野県北部、千曲川東岸の大室谷の入り口部緩斜面上(標高約360メートル)に築造された古墳である。約500基におよぶ大室古墳群のなかでも最大級の規模を有する。1984年度(昭和59年度)に明治大学による発掘調査が、1998年度(平成10年度)以降に史跡整備に伴う発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径21メートル・高さ8メートルを測る[1]。墳丘は2段築成で、土石混合墳丘である[2]。墳丘外表は、一般的には見られない特異な「石垣状石積み」で覆われる[2]。また墳丘周囲には大室古墳群では唯一となる周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては直径30メートルにおよぶ[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室全長11.7メートルを測る古墳群中最大規模の大型石室であり、良好な状態で遺存する。石室羨道部の発掘調査では、副葬品として金銅製鈴・須恵器土師器が検出されている。

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[1]。大室古墳群の中では大型墳丘・周溝・大型石室・石垣状石積みに特異性を示す、盟主的な古墳として重要視される古墳になる[1]

古墳域は1997年(平成9年)に国の史跡に指定された(史跡「大室古墳群」のうち)。現在では史跡整備のうえで、墳丘外観が復元された状態で公開されている。

遺跡歴 編集

  • 1984年度(昭和59年度)、石室羨道部の発掘調査(明治大学)。
  • 1997年平成9年)7月28日、国の史跡に指定(史跡「大室古墳群」のうち)。
  • 1998-1999年度(平成10-11年度)、史跡整備に伴う墳丘測量・試掘調査(長野市教育委員会、2008年に報告)。
  • 2001-2003年度(平成13-15年度)、史跡整備に伴う発掘調査(長野市教育委員会、2008年に報告)。

埋葬施設 編集

 
石室パース図
 
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:11.7メートル
  • 玄室:長さ6.5メートル、幅2.3メートル(奥壁)、高さ2.5メートル

羨道の発掘調査では、金銅製鈴・須恵器土師器が検出されている。金銅製鈴は外径5.1センチメートルを測る大型品であり、土器類には底部穿孔壺や脚付長頸壺が含まれる[1]

関連施設 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 大室244号墳(長野市文化財データベース)。
  2. ^ a b 国史跡 大室古墳群 2008.

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集