大平元宝(大平元寳、たいへいげんぽう)は、奈良時代に鋳造された円形方孔の銀銭。史料上では天平宝字4年(760年)に金銭開基勝宝銅銭万年通宝とともに定められたことが確認されるが、正真の現物は発見されていない。

概要編集

大平元宝は、淳仁天皇治世下の天平宝字4年(760年)に初めて試鋳された。このとき出された詔には同時に発行された貨幣との交換比率が示され、大平元宝10枚で開基勝宝(金銭)1枚分、また大平元宝1枚は万年通宝(銅貨)10枚分に当てると定められた。これらの貨幣の発行権は前年に太政大臣に任ぜられた藤原仲麻呂(恵美押勝)に専制的に与えられた。

大平元宝が発掘調査で見つかった事例は報告されておらず、大正時代には某家、昭和3年(1928年)に唐招提寺で宝蔵から発見され伝わる2品が現存していた。3品が伝存するとする説もある[1]。現在はその2品の拓本が伝わるのみで、現品は行方不明となっている。しかし拓本によれば銭文は何れも『続日本紀』に記された「大平元寳」ではなく「平元寳」と表記されており、贋物説がある[2]。一方で「大平」は「太平」と同じく天下太平を表す吉語であり、淳仁天皇の治世が太平であることを願ったものともされる[3]。これとは別に、契丹)の古銭にも「太平元宝」があり、この遼銭の「太平元宝」銀銭は前記の拓本と酷似しているため、発見された品が遼銭である可能性もある。また、この遼銭を使った「あの幻の銀銭が」的な詐欺取引にも注意が必要である。

現存が僅少である、また確認されていないということから、当時一般流通は無かったとする推論を立てた上で、この新規発行の銀貨(万年通宝)1枚を従来の銅貨(和同開珎)10枚分という高額に設定することで、和同開珎は銀貨の1/10に相当する価値の高いものである、とする、即ち貨幣価値・レートを設定する目的の”見せ金”であったとする説もある[4]。また和同開珎10枚分の価値に相当することから私鋳銭が現れることは必至であり、このことによる貨幣経済の混乱を避けるため、大平元宝を流通に投じることをしなかった、とする説もある[3]

2017年、奈良国立博物館列品室長の吉澤悟が、大平元宝が現存していない理由として、藤原仲麻呂の乱を起こして敗死した藤原仲麻呂と彼に連座して廃位された淳仁天皇の事績を打ち消したい称徳天皇がこれを回収させ、銀壺(現在は正倉院宝物)に鋳直させた上で東大寺に奉納したのではないかとする説を唱えた[5]

参考文献編集

  1. ^ 郡司勇夫 「大平元寳余話」『ボナンザ』第八巻、四号、1972年
  2. ^ 青山礼志 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年
  3. ^ a b 松村恵司 「出土銭貨」『日本の美術 No.512』 至文堂、2009年
  4. ^ 今村啓爾 『富本銭と謎の銀銭 貨幣誕生の真相』 小学館、2001年
  5. ^ 吉澤悟「正倉院南倉の銀壺について (PDF) 」 『正倉院紀要』第39号、宮内庁正倉院事務所、2017年3月、 1-26頁、 ISSN 1343-1137NAID 400211976492021年4月7日閲覧。

関連項目編集