宮内庁

内閣府の外局

宮内庁(くないちょう、英語: Imperial Household Agency)は、日本行政機関のひとつ。皇室関係の国家事務、天皇国事行為である外国大使公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務および御璽国璽の保管等を所管する内閣府の機関である。

日本の旗 日本行政機関
宮内庁
くないちょう
Imperial Household Agency
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宮内庁庁舎 (東京都千代田区・皇居内)
宮内庁庁舎
(東京都千代田区・皇居内)
地図
長官 西村泰彦
次長 池田憲治
組織
上部組織 内閣府
内部部局 長官官房
侍従職
上皇職
皇嗣職
式部職
書陵部
管理部
施設等機関 正倉院事務所
御料牧場
地方支分部局 京都事務所
概要
法人番号 9000012010020 ウィキデータを編集
所在地 100-8111
東京都千代田区千代田1番1号
北緯35度41分02秒 東経139度45分17秒 / 北緯35.683778度 東経139.754615度 / 35.683778; 139.754615座標: 北緯35度41分02秒 東経139度45分17秒 / 北緯35.683778度 東経139.754615度 / 35.683778; 139.754615
定員 1,072人[1][注 1]
2020年令和2年)4月1日
施行
年間予算 120億6077万2千円[2](2022年度)
設置 1949年昭和24年)6月1日
前身 宮内省
宮内府
ウェブサイト
宮内庁
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なお、宮内庁は以前は総理府外局(総理府設置法17条)であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条、第64条)ではなく「内閣府に置かれる独自の位置づけの機関」とされている(内閣府設置法48条)[3]。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。

概説編集

 
特命全権大使らを送迎する宮内庁の儀装馬車

1869年明治2年)7月8日、古代の太政官制にならって、いわゆる「二官八省」からなる政府が組織されたが、この際、かつての大宝令に規定された宮内省(くないしょう/みやのうちのつかさ)の名称のみを受け継ぐ宮内省が設置され長官として宮内卿が置かれた。1885年(明治18年)に内閣制度が創設される際には、宮内卿に替わって宮内大臣が置かれたが、「宮中府中の別」の原則に従って、宮内大臣は内閣の一員とされなかった。このとき、内大臣宮中顧問官などの官職も置かれた。1886年(明治19年)には宮内省官制が定められ、2課5職6寮4局の組織が定まった。1889年(明治22年)には、大日本帝国憲法の公布とともに、旧皇室典範が勅定され、皇室自律の原則が確立した。1908年(明治41年)には、皇室令による宮内省官制が施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき天皇を輔弼する機関とされた。

1945年(昭和20年)の終戦の際には、宮内省は、1官房2職8寮2局のほか、内大臣府掌典職御歌所帝室博物館帝室林野局学習院など13の外局と京都事務所を持ち、職員6,200人余を擁する大きな組織となっていた。その後、宮内省の事務を他の政府機関に移管もしくは分離独立して機構の縮小を図り、1947年(昭和22年)5月3日日本国憲法施行とともに、宮内省から宮内府となり、内閣総理大臣の所轄する機関となった。宮内府は、宮内府長官の下、1官房3職4寮(侍従職、皇太后宮職、東宮職、式部寮、図書寮、内蔵寮、主殿寮)と京都事務所が置かれ、職員数も1,500人弱となった[4][5]

1949年(昭和24年)6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置された。2001年平成13年)1月6日には、中央省庁改革の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は内閣府に置かれる機関となった。

2019年(平成31年/令和元年)、天皇の退位等に関する皇室典範特例法によって明仁から徳仁への皇位継承が行われたことに伴う組織改正により、上皇職及び皇嗣職が新設され、1官房5職2部と京都事務所の体制となった。

広報体制の整備へ(SNSの活用)編集

眞子内親王の結婚について週刊誌報道やインターネット上の書き込みが内親王の精神状態や体調に悪影響を与えた事実を重視し、2022年(令和4年)8月、宮内庁は皇室に関する正確な情報を広く伝えるため、担当の幹部職員を置いてSNSなどで積極的に発信していくことを明らかにした。役職としては広報体制の整備のため参事官ポストの新設と、広報担当の職員2人の増員が検討されている[6]

9月8日、西村泰彦宮内庁長官により、開設した場合予想される一部の国民による炎上のリスクが指摘され、開設が最終的な決定事項でない旨説明された[7]

庁舎編集

 
宮内庁、坂下門

1935年(昭和10年)に建設された。「宮内庁」の表札等はない。明治宮殿が焼失してから今の宮殿(新宮殿)が建設されるまでの間、仮宮殿として用いられた。現在の宮殿とは渡り廊下(紅葉渡)で接している。

  • 所在地:東京都千代田区千代田1番1(皇居内、坂下門の北側)なお、皇居全体が一地域「千代田」である。
  • 宮内庁内郵便局1924年大正13年)9月に開局する。日本郵便株式会社が設置する郵便局であり、宮内庁の組織ではない。利用者が限定されているわけではないが、当局が入居している宮内庁庁舎には宮内庁職員など関係者しか立ち入りが認められていないため、事実上関係者のみ利用可能となっている。
  • 食堂:宮内庁職員、関係者、記者クラブ関係者が利用できる普通の職員食堂であるが、ここには御料牧場で生産された牛乳自動販売機が設置されており、食堂を利用できる者であれば誰でも購入できる。瓶牛乳1本60円。
  • 警視庁職員信用組合宮内庁出張所

組織編集

宮内庁の内部組織は一般に、法律の宮内庁法[注 2]政令の宮内庁組織令および内閣府令の宮内庁組織規則が階層的に規定している。

内部部局(長官官房、5職、2部)、2施設等機関、1地方支分部局を設置する。宮内庁長官、侍従長(侍従職の長)と上皇侍従長(上皇職の長)は認証官。他省庁と違い部課制ではない「職」という組織があるが、これは戦前からの慣習による。

侍従職と東宮職はそれぞれ天皇一家、皇太子一家の側近奉仕という特質上、皇位継承があった場合、東宮職の職員は即位した天皇皇后について侍従職に移り、逆にもとにいた侍従職の職員のほとんどが、崩御した前天皇皇后であった皇太后の側近奉仕をする皇太后宮職に移るか、新皇太子の側近奉仕をする東宮職に移る。

なお、2019年(平成31年/令和元年)の皇位継承時には、侍従職職員81名のうち、御璽国璽御物の管理担当の職員以外の65名が上皇職職員となり、東宮職職員が侍従職職員に異動、秋篠宮家を担当していた職員が皇嗣職職員となる形式がとられたため[8][注 3]、職員の割り当ては以下の通りとなる[9]

  1. 侍従職(定員75名)
  2. 上皇職(定員65名)
  3. 皇嗣職(定員51名)

2022年(令和4年)4月1日の行政機関職員定員令に定める定員1,072名中63名が特別職、1,010名が一般職である。なお下記の国家公務員法に規定する特別職7人は、定員に含まれない。

特別職の内訳は以下の2種類からなる。

国家公務員法[注 4]で規定するもの
  • 宮内庁長官
  • 侍従長
  • 上皇侍従長
  • 皇嗣職大夫
  • 式部官長
  • 侍従次長
  • 上皇侍従次長
人事院規則で規定するもの
  • 宮内庁長官秘書官
  • 宮務主管
  • 皇室医務主管
  • 侍従
  • 女官長
  • 女官
  • 侍医長
  • 侍医
  • 上皇侍従
  • 上皇女官長
  • 上皇女官
  • 上皇侍医長
  • 上皇侍医
  • 皇嗣職宮務官長
  • 皇嗣職宮務官
  • 皇嗣職侍医長
  • 皇嗣職侍医
  • 宮務官
  • 侍女長

一般職は宮内庁次長を筆頭に、内閣府事務官、内閣府技官などとなっている[10]

皇室典範に基づき開かれる皇室会議皇室経済法に基づき開かれる皇室経済会議は宮内庁の機関ではない。

天皇皇族の護衛、皇居や御所の警備を行う皇宮警察本部は、警察庁の機関である。

また、天皇皇后の諮問に応じる宮内庁参与宮内庁御用掛生物学研究所紅葉山御養蚕所の職員、宮中祭祀を担当する掌典職の職員は宮内庁その他の国の機関の職員(国家公務員)ではない。詳細は当該項目を参照。

幹部編集

内部部局編集

2019年令和元年)5月1日天皇徳仁の即位および皇后雅子の立后以降は、譲位後の上皇明仁および上皇后美智子の家政機関として「上皇職」を設置し、皇太子が不在となるため「東宮職」に代わり皇嗣となる秋篠宮文仁親王の一家(秋篠宮家)の家政機関として「皇嗣職」が設置された[11]

施設等機関編集

地方支分部局編集

財政編集

2022年度(令和4年度)一般会計当初予算における宮内庁所所管の歳出予算は 120億6077万2千円[2]。他に皇室費として73億893万9千円が計上されている。内訳は、内廷費が、3億2400万円、宮廷費が、67億2477万4千円、皇族費が、2億6016万5千円となっている。内廷費及び皇族費として支出されたものは、御手元金となるものとし、宮内庁の経理に属する公金としない、とされている[注 5]

長官編集

宮内庁の長は宮内庁長官で(宮内庁法第8条1項)、その任免は天皇が認証する(同条2項)。

1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行の日に宮内府及び宮内府長官が設置され、1949年(昭和24年)に宮内庁及び宮内庁長官と改称された後も一貫して長官の職は認証官である。

また宮内庁長官は特別職国家公務員であり(国家公務員法第2条3項10号)、その給与は副大臣級である[12]

宮内庁長官は宮内庁の事務を統括し、職員の服務について統督する権限があるほか(宮内庁法第8条3項)、宮内庁の所掌事務について、内閣総理大臣に対し内閣府令を発することを求める権限(同条4項)、告示を発する権限(同条5項)、所管の諸機関及び職員に対し訓令又は通達を発する権限(同条6項)、皇宮警察の事務につき警察庁長官に対して所要の措置を求める権限(同条7項)などがある。

宮内庁長官には、旧内務省系官庁の事務次官あるいはそれに準ずるポスト(警視総監)の経験者が、宮内庁次長を経て就任することが慣例となっている。

歴代長官
氏名 在任期間 出身官庁 備考
宮内府長官
1   松平慶民 1947年(昭和22年)5月3日 - 1948年(昭和23年)6月5日 宮内省 叙・一級
2   田島道治 1948年(昭和23年)6月5日 - 1949年(昭和24年)5月31日 民間 叙・一級
宮内庁長官
1   田島道治 1949年(昭和24年)6月1日 - 1953年(昭和28年)12月16日 民間 引き続き一級
2   宇佐美毅 1953年(昭和28年)12月16日 - 1978年(昭和53年)5月26日 内務省 叙・一級
3   富田朝彦 1978年(昭和53年)5月26日 - 1988年(昭和63年)6月14日 警察庁 叙・一級
4   藤森昭一 1988年(昭和63年)6月14日 - 1996年(平成8年)1月19日 厚生省環境庁 叙・一級
5   鎌倉節 1996年(平成8年)1月19日 - 2001年(平成13年)4月2日 警察庁 叙・一級
6   湯浅利夫 2001年(平成13年)4月2日 - 2005年(平成17年)4月1日 自治省
7   羽毛田信吾 2005年(平成17年)4月1日 - 2012年(平成24年)6月1日 厚生省
8   風岡典之 2012年(平成24年)6月1日 - 2016年(平成28年)9月26日 建設省
9   山本信一郎[13] 2016年(平成28年)9月26日 - 2019年(令和元年)12月17日 自治省
10   西村泰彦[14] 2019年(令和元年)12月17日 - 警察庁
  • 2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編施行とともに、叙級制度は廃止。

次長編集

宮内庁には、宮内庁次長(1人)を置くこととされ(宮内庁法9条1項)、宮内庁次長は、長官を助け、庁務を整理し、各部局の事務を監督することと定められる(同条2項)[注 6]

宮内庁次長は、特別職の宮内庁長官と異なり一般職の国家公務員であり、給与は指定職8号俸の事務次官級であり、特別職の上皇侍従長式部官長と同等である[15][16]

歴代次長
氏名 在任期間 前職 備考
宮内府次長
1   加藤進 1947年(昭和22年)5月3日 - 1948年(昭和23年)8月2日 宮内省総務局長 叙・一級
2   林敬三 1948年(昭和23年)8月2日 - 1949年(昭和24年)5月31日 内事局長官 叙・一級
宮内庁次長
1   林敬三 1949年(昭和24年)6月1日 - 1950年(昭和25年)10月9日 引き続き一級
2   宇佐美毅 1950年(昭和25年)10月9日 - 1953年(昭和28年)12月16日 東京都教育長
東京住宅協会専務理事
-   1953年(昭和28年)12月16日 - 1953年(昭和28年)12月18日 宮内庁長官による事務取扱
3   瓜生順良 1953年(昭和28年)12月18日 - 1974年(昭和49年)11月26日
4   富田朝彦 1974年(昭和49年)11月26日 - 1978年(昭和53年)5月26日 警視庁副総監
内閣調査室
5   山本悟 1978年(昭和53年)5月26日 - 1988年(昭和63年)4月13日 自治省財政局長
6   藤森昭一 1988年(昭和63年)4月13日 - 1988年(昭和63年)6月14日 内閣官房副長官
7   宮尾盤 1988年(昭和63年)6月14日 - 1994年(平成6年)3月31日[注 7] 宮内庁管理部長
8   鎌倉節 1994年(平成6年)4月1日 - 1996年(平成8年)1月19日 警視総監
9   森幸男 1996年(平成8年)1月19日 - 2000年(平成12年)3月31日[18] 環境事務次官
東宮大夫
10   湯浅利夫 2000年(平成12年)4月1日 - 2001年(平成13年)4月2日 自治事務次官
11   羽毛田信吾 2001年(平成13年)4月2日 - 2005年(平成17年)4月1日 厚生事務次官
12   風岡典之 2005年(平成17年)4月1日 - 2012年(平成24年)6月1日 国土交通事務次官
13   山本信一郎 2012年(平成24年)6月1日 - 2016年(平成28年)9月26日 内閣府事務次官
14   西村泰彦[13] 2016年(平成28年)9月26日 - 2019年(令和元年)12月17日 警視総監
内閣危機管理監
15   池田憲治 2019年(令和元年)12月17日 - 全国市町村国際文化研修所学長
  • 1950年(昭和25年)6月1日以降、叙級なし。

幹部職員編集

令和4年(2022年)1月1日現在、宮内庁の幹部は以下のとおりである[19]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 宮内庁長官、侍従長、上皇侍従長、皇嗣職大夫、式部官長侍従次長及び上皇侍従次長を含まない。行政機関の職員の定員に関する法律第2条第2項第2号。宮内庁法附則第2条第8項及び附則第3条第6項。
  2. ^ 上皇職及び皇嗣職の設置は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則(上皇職及び皇嗣職の設置を規定した宮内庁法の一部改正)により追加された宮内庁法附則第2条及び附則第3条による。
  3. ^ 東宮職は皇位継承によって皇太子が空席となったため、設置されていない。
  4. ^ 宮内庁法附則第2条第8項及び附則第3条第6項による場合を含む。
  5. ^ 皇室経済法第4条第2項、第6条第8項。
  6. ^ 宮内府次長についても、宮内府に1人置くこととされ(宮内府法2条1項)、宮内庁次長と同様の職掌を定めていた(同法5条)。
  7. ^ 定年退職のため4月1日付でない[17]

出典編集

  1. ^ 行政機関職員定員令(昭和44年5月16日政令第121号)(最終改正、令和4年3月25日政令第92号) - e-Gov法令検索
  2. ^ a b 令和4年度一般会計予算 (PDF) 財務省
  3. ^ 山本淳, 小幡純子 & 橋本博之 2003, p. 23-24.
  4. ^ 宮内庁. “沿革”. 宮内庁(公式サイト). 2013年3月閲覧。
  5. ^ 印刷局, ed (1947) (preview). 各庁職員抄録. 印刷局. pp. 12-13. NDLJP:1078939. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078939/8 
  6. ^ 「宮内庁 SNS活用し皇室情報を発信へ 広報体制も整備」『NHK News Web』2022-8-30
  7. ^ テレ東BIZ. “宮内庁がSNS活用めぐり軌道修正”. 2022年9月8日閲覧。
  8. ^ 新設「上皇職」は65人程度、退位後の両陛下補佐 - 日本経済新聞、2017年12月25日配信。
  9. ^ 宮内庁も新体制=上皇職・皇嗣職が発足-皇位継承 - 時事通信2019年5月1日[リンク切れ]
  10. ^ 宮内庁職員 宮内庁
  11. ^ 宮内庁組織令の一部を改正する政令(平成31年政令第158号)2019年4月24日付官報本紙第7495号
  12. ^ 主な特別職の職員の給与 (PDF)
  13. ^ a b “宮内庁長官に山本氏 閣議決定”. 日本経済新聞. (2016年9月23日). https://r.nikkei.com/article/DGXLASDG22H3X_T20C16A9EAF000 2016年9月27日閲覧。 
  14. ^ 宮内庁長官に西村氏就任 令和の皇室支える
  15. ^ 天皇の退位等に関する皇室典範特例法 - e-Gov法令検索
  16. ^ 特別職の職員の給与に関する法律 別表1
  17. ^ 平成6年4月1日付『官報』本紙第1371号13ページ第1段より。
  18. ^ 平成12年4月4日付『官報』本紙第2842号11ページ第1段より。
  19. ^ 宮内庁幹部名簿(令和4年7月1日現在)”. 宮内庁. 2022年3月28日閲覧。

参考文献編集

  • 山本淳、小幡純子、橋本博之 『行政法』(第2版補訂)有斐閣〈有斐閣アルマ〉、2011年。ISBN 978-4-641-12189-8 

関連項目編集

外部リンク編集