内村美代子
日本の翻訳家、著作家
(大館源太郎から転送)
内村 美代子(うちむら みよこ、1903年8月[1] - 2003年7月22日)は、日本の翻訳家、著作家である。内村鑑三の英文著作や野球雑誌『ベースボール・マガジン』の翻訳などで知られている。旧姓、久須美。
生涯 編集
1903年に越前福井藩の士族の海軍少将大館源太郎の娘として東京で生まれる。1911年の夏、酒井忠宝の娘の久須美鉐子の息子の養女になる。1913年、実父が死去する。日本女子大学付属高女卒業後、大学部の英文科に進んだが、肋膜炎を患い休学する。
家族 編集
- 曽祖父・大館俊氏 ‐ 福井藩士。[2]。
- 祖父・大館尚氏 ‐ 俊氏の長男。福井藩士、藤島神社2代宮司。[2]
- 父・大館源太郎(1866-1914) ‐ 尚氏の長男。海軍造兵総監。海軍機関学校卒。[3][2][4]
- 母・キミ(君子、1879-) ‐ 久須美秀三郎の二女。[5]
- 養父・久須美東馬 ‐ 久須美秀三郎の長男。キミの兄。岳父に酒井忠宝_(庄内藩主)。子がなかったため美代子を養女とした。[6][7]
- 夫・内村祐之 ‐ 内村鑑三の長男
- 叔父・福島縫次郎 ‐ 源太郎の弟。鉄道技術者。東京帝国大学卒。海軍少将・福島敬典の婿養子、妻の叔父に柳本直太郎。
- 叔母・ミチ ‐ 源太郎の妹。水谷叔彦の妻。水谷(1865-1947)は海軍少将、日本製鋼所常務。海軍機関学校卒。グリニッジ王立海軍大学校留学中、ゴルフを体験し、日本人で初めてゴルフをした人物となる。娘婿に明石和衛、戸塚武比古、内山良(内山安兵衛二男)など。外孫に西崎義展。[8][9][10][11]
- 叔母・クミヲ ‐ 源太郎の妹。小川正孝の妻
著作 編集
翻訳 編集
- 『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』(山本泰次郎共訳、角川文庫)ほか
- 『代表的日本人』日本ソノサービスセンター、1968年
- 『ドジャースの戦法』夫と共訳
- 『タイ・カップ自伝』夫と共訳