天下茶屋 (飲食店)

山梨県南都留郡富士河口湖町の飲食店

天下茶屋(てんかちゃや[5])は、日本の飲食店。山梨県南都留郡富士河口湖町に所在する[2]。1934年(昭和9年)に創業した老舗であり[6][7]、山梨名物のほうとうや、富士山河口湖の絶景に恵まれた立地を特徴としている[3]井伏鱒二太宰治ら、文人たちに親しまれた場所としても知られている[3]。太宰の作品『富嶽百景』の舞台でもあり[8]、太宰の滞在時の部屋を再現した「太宰治文学記念室」も併設されている[9]

天下茶屋
2008年8月12日撮影
地図
地図
店舗概要
所在地 401-0304
山梨県南都留郡富士河口湖町河口2739
座標 北緯35度33分23.2秒 東経138度47分01.7秒 / 北緯35.556444度 東経138.783806度 / 35.556444; 138.783806 (天下茶屋)座標: 北緯35度33分23.2秒 東経138度47分01.7秒 / 北緯35.556444度 東経138.783806度 / 35.556444; 138.783806 (天下茶屋)
開業日 1934年
正式名称 有限会社天下茶屋[1]
商業施設面積 180 m²[4]
中核店舗 御坂峠本店[2]
店舗数 2
営業時間 10:00 - 17:00[3]
駐車台数 10台[2]
最寄バス停 富士急バス 天下茶屋[3]
外部リンク 御坂峠|天下茶屋
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沿革

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1934年秋に、初代店主の外川政雄夫妻により開業された[10][11]。外川は農家の長男であったが、甲府盆地富士五湖を結ぶトンネルの完成により、人々がバスや徒歩で頻繁に峠を往来する様子から、茶屋を開こうと思い立ったことが、開業のきっかけであった[12]。当時の建物は木造2階建てであり、8畳が3間の小さな茶屋で、峠を行き交う旅人に食事などをふるまったことが始まりであった[10][13]

河口湖と富士山を一望できる絶景から、開業当初は「富士見茶屋」「天下一茶屋」などと呼ばれていたが[14]、ジャーナリストの徳富蘇峰が新聞に「天下茶屋」と紹介したことにより、この名が定着した[4][15]。また徳富のこの新聞での紹介により、この店の知名度が全国的なものとなった[11]

旅館ではないが、旅人に依頼されると、2階を宿泊のために提供した[16]。宿泊時の食事は家人と同じで有り合わせであったが、富士山の絶景と素朴なもてなしが評判を呼び、暑さを逃れてここに長期滞在する文人たちが次第に増加した[16]

1967年(昭和42年)に新御坂トンネルが開通したことで、峠道の交通量が激減し、店は休業を強いられ[8][17]、建物も次第に老朽化した[18]。「富士山の景色を楽しめる道」として往来が戻った後[8]、1978年(昭和53年)に営業を再開[10][注 1]、火災のために建物が焼失した後[5]、1983年(昭和58年)に改築されて現在の建物となった[19]

特徴

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山梨名物のほうとうが人気メニューであり[19]蕎麦おでん[20]釜飯馬刺しなどの食事が充実している[9]。ほうとうは、軟らかく腰の強い自家製の麺を[21]、合わせ味噌で仕上げた深い味わいが特徴であり、10月下旬には大ぶりの天然のナメコの入った、きのこほうとう鍋を楽しむことができる[22][23]。この地の空気と水との相性まで考慮されたオリジナルブレンドのコーヒーや、創業時代のままの製法で作られた甘酒も特徴である[24]

店の前は有数の富士見スポットとして知られており、気候次第では戸外での飲食も可能である[20]。ほうとうや甘酒などの味を気に入って、何度も訪れるリピーター客、富士山と河口湖の絶景を撮影するために訪れる行楽客も多い[3]。休業前と異なり、宿泊のための施設はない[5]

1993年の改築後の店の建築は、スギの板とヨシの屋根による構造であり、その外観の素朴さと、昔ながらの懐かしい雰囲気、規則正しく並ぶ板目が特徴的である[8]。旧店舗の床柱を再利用するなど、改築前の「峠の茶店」としての風情はそのまま残されている[18]

後述のように太宰治に愛された縁で、改築後の店の2階には、太宰が滞在していた部屋が復元されており、「太宰治文学記念室」として無料で公開されている[25]。ここでは著書の初版本や[3]、太宰の直筆の色紙や写真などが展示されている[4]。未完の『火の鳥』の執筆に用いたと思われる、愛用の木製の文机や火鉢も、当時のままで残されている[4][26]。「聖地巡礼」として訪れる太宰ファンも多い[20]

本店の他に、より多くの客を迎えるための河口湖分店「峠の茶屋」がある[2]。こちらでも本店と同じく、ほうとうや釜飯が提供されている[23]。分店には大型バス用駐車場も用意されており、河口湖や富士山、太宰治にちなんだ土産も販売されている[2]

文人たちとの縁

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小説家の井伏鱒二は山梨を「第2の故郷」と呼んでこよなく愛し[8]、小説の取材や趣味の川釣りのために、たびたび山梨を訪れた[3][27]。この店の初代店主である外川政雄の親戚が山梨県庁に勤務しており、井伏から「景色が良く魚も釣れる場所を捜している」と相談された縁で[28]、井伏はこの店に頻繁に訪れ、仕事場としていた[3][8]。外川は井伏と親交があり[29]、囲碁や将棋の相手を務めることも多かった[12]。井伏のことを「イブ先生」と呼び、「イブ先生に釣りを教えたのは俺」とも自慢していた[12]。晩年には、井伏からの数十通の手紙を宝物として大事にしていた[12]。井伏の作品『大空の鷲』(新潮社の短編集『山椒魚』に収録[30])に登場する茶屋の主人のモデルも外川であり、外川の孫(2代目店主の三男)はこの茶屋の主人の姿を「本人そのもの」と語っている[12]。2代目店主も「子供の頃、当時は珍しかった花火を買ってもらった」と回想している[8]。井伏の長男も、父に連れられてよく訪れていた[31]

井伏を師と仰ぐ太宰治は1938年9月、井伏に連れられて来店し、約2か月ここに滞在した。それまでの太宰は私生活や文学の行き詰まりで生活が荒れており、この店を訪れたことが、作風が上向く転機になったとされ[31]、評論家の長部日出雄も「天下茶屋が太宰に与えた好影響は計り知れません」と語っている[17]。名物のほうとうを出されると、「放蕩(ほうとう)」と言われたと思い、「僕のことを言っているのか」と不機嫌になったが、食べてからは大いに気に入ったとの逸話もある[6][8]。滞在当初は客室で食事をとっていたものの、後には外川の家族と食事を共にし、家族同様のつき合いとなった[32]。この滞在経験をもとに書かれた作品が『富嶽百景』であり[33]、作中に登場する「茶屋のおかみさん」のモデルは外川政雄の妻である[17]。同作で有名な一節「富士には月見草がよく似合ふ」は、天下茶屋にいた太宰が、郵便物を受け取るためにバスで河口局へ下り、帰りのバスで同乗した老婆が月見草を見つけたことから生まれたものである[15]

太宰が入水した後、井伏鱒二が店主の外川政雄に「また茶屋に行かせようと思っていた」と告白すると、外川は「水は、若くしていった作家の過去と未来のすべてを包み込んで何も語ってくれない」と無念の思いを伝えたという[12]。太宰の没後、『富嶽百景』の「富士には〜」の一節が刻まれた文学碑が、太宰の急逝を惜しんだ井伏や山梨日日新聞社社長の野口二郎らにより、天下茶屋近くに建立された[33][34]。1978年からはこの碑のもとで、太宰を偲ぶ「山梨桜桃忌」が催されており[18][33]、各地の太宰ファンや研究者たちの交流の場となっている[3][8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 営業再開は1980年(昭和55年)との説もある[8]

出典

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  1. ^ 有限会社天下茶屋”. 全国法人情報データベース. 2023年10月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e 店舗のご案内”. 天下茶屋. 2023年10月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 天下茶屋”. 富士山NET. 山梨日日新聞社 (2023年6月9日). 2023年10月22日閲覧。
  4. ^ a b c d 内藤慎二「名所・景勝アルバム 天下茶屋 山梨県河口湖町 太宰治の"息づかい"今も…」『産経新聞産業経済新聞社、2002年5月17日、東京朝刊、26面。
  5. ^ a b c サライ 1998, pp. 34–35
  6. ^ a b 渡部 & 白石 2016, pp. 78–79
  7. ^ マヒト「山梨絶品、麺、麺、め〜ん ビギナーカザマルの小手調べにどう?」『BikeJIN/培倶人』第20巻第12号、実業之日本社、2023年10月1日、125頁、全国書誌番号:01006003 
  8. ^ a b c d e f g h i j 原田展「たてもの散歩 天下茶屋 太宰が愛した富士の茶店」『読売新聞読売新聞社、2000年10月1日、東京朝刊、33面。
  9. ^ a b 『東京発 日帰り山さんぽ50』交通新聞社、2017年5月1日、104頁。ISBN 978-4-330-77517-3 
  10. ^ a b c 天下茶屋の歴史”. 天下茶屋. 2023年10月22日閲覧。
  11. ^ a b 小田切敏雄「いらっしゃい御坂峠 天下茶屋」『毎日新聞毎日新聞社、2013年11月17日、山梨地方版、26面。
  12. ^ a b c d e f 山本航「追悼抄 5月 井伏鱒二、太宰治ゆかりの「天下茶屋」初代主人 外川政雄さん」『読売新聞』2001年6月24日、東京朝刊、31面。
  13. ^ 『おとな旅プレミアム 河口湖・山中湖 富士山』(第3版)TAC株式会社出版事業部、2021年7月27日、112頁。ISBN 978-4-8132-9451-1 
  14. ^ 「天下茶屋・太宰治文学碑周辺 多くの文人が称賛した美景」『山梨日日新聞』山梨日日新聞社、2013年9月17日、10面。
  15. ^ a b 御坂峠天下茶屋”. ニッポン旅マガジン. プレスマンユニオン. 2023年10月22日閲覧。
  16. ^ a b 絶景ドライブ 2016, p. 52
  17. ^ a b c 週刊新潮 2006, p. 129
  18. ^ a b c 鈴木経史「名作紀行 旅ゆけば甲州 やっぱし御坂は、いいよ」『読売新聞』2021年6月23日、東京朝刊、24面。
  19. ^ a b 香川 2007, p. 152
  20. ^ a b c 山内 2016, pp. 236–237
  21. ^ 『るるぶ河口湖山中湖富士山麓御殿場 '23』JTBパブリッシング〈るるぶ情報版〉、2022年3月15日、77頁。ISBN 978-4-533-14860-6 
  22. ^ 『るるぶ河口湖山中湖富士山麓御殿場 '17』JTBパブリッシング〈るるぶ情報版〉、2016年4月1日、148頁。ISBN 978-4-533-10982-9 
  23. ^ a b ココミル 2023, p. 28
  24. ^ 木内アキ「さんぽ旅 散歩気分で旅に出よう 富士河口湖町 河口湖×富士山。さらに秋には紅葉も感動も思い出も2倍」『散歩の達人』第16巻第10号、交通新聞社、2011年9月21日、103頁、大宅壮一文庫所蔵:100033765 
  25. ^ 天下茶屋 太宰治記念室”. 山梨新報WEB. 山梨新報社. 2023年10月22日閲覧。
  26. ^ 松本侑子「太宰治紀行 生涯と名作の土地をたずねて『富嶽百景』 旅の土地 山梨県〜御坂峠天下茶屋、甲府市 富士には月見草…… 再起をかけた結婚」『pumpkin』第20巻第5号、潮出版社、2010年5月1日、125頁、大宅壮一文庫所蔵:100076541 
  27. ^ 展覧会”. 山梨県立文学館 (2023年). 2023年10月22日閲覧。
  28. ^ 平山亜理「訪ねてみました「富嶽百景」の舞台、天下茶屋」『朝日新聞朝日新聞社、2021年10月2日、静岡地方版、26面。
  29. ^ 「外川政雄氏(天下茶屋初代主人)死去」『読売新聞』2001年5月26日、東京朝刊、32面。
  30. ^ 山椒魚”. 新潮社. 2023年10月22日閲覧。
  31. ^ a b 「名物おかみを偲んで桜桃忌 交通事故で急逝・外川ヤエ子さん」『朝日新聞』2006年6月19日、山梨地方版、35面。
  32. ^ 「外川ヤエ子さん死去 太宰作品登場「天下茶屋」の先代女将」『読売新聞』2006年6月9日、東京朝刊、35面。
  33. ^ a b c 森 2022, p. 51
  34. ^ 「「天下茶屋」で桜桃忌「富嶽百景」舞台 太宰ファン集う」『読売新聞』2012年6月18日、東京朝刊、29面。

参考文献

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  • 香川誠「ON and OFF 富士には文学がよく似合う 富嶽文豪5景 太宰治 月見草に見たもう1つの富士」『サンデー毎日』第86巻第48号、毎日新聞出版、2007年11月11日、152頁、大宅壮一文庫所蔵:100037890 
  • 森晴彦「文学碑めぐり 富士には 月見草が よく似合ふ(山梨県河口湖町 天下茶屋)」『解釈』第68巻第7・8号、解釈学会、2022年7月1日、51-53頁、CRID 1520574655201879040 
  • 山内宏泰「名作×名食 太宰治『富獄百景』×天下茶屋(山梨・富士河口湖町)この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があって」『文藝春秋』第94巻第9号、文藝春秋、2016年6月1日、236-237頁、CRID 1522262180870123648 
  • 渡部芳紀、白石宏一「富士山の名水に憩う 太宰治『富嶽百景』癒しの旅 迷いの中にいた太宰はいかにして救われたのか」『一個人』第17巻第6号、ベストセラーズ、2016年8月26日、74-79頁、大宅壮一文庫所蔵:000017969 
  • 『ココミル河口湖 山中湖 富士山麓 御殿場』JTBパブリッシング、2023年6月15日。ISBN 978-4-533-15500-0 
  • 『絶景ドライブ 日本の峠を旅する 感動と絶景に出会える27本の峠道。』Gakken〈GAKKEN MOOK〉、2016年8月10日。ISBN 978-4-05-611095-1 
  • 「墓碑銘『富嶽百景』のおかみさん外川ヤエ子さんの自然体」『週刊新潮』第51巻第23号、新潮社、2006年6月22日、129頁、大宅壮一文庫所蔵:100045998 
  • 「日本3大名月を愛でた文士たち 観月の宴 太宰治 山梨県・静岡県富士山 月下の青く透ける富士を湖畔より望む風雅の時間」『サライ』第10巻第18号、小学館、1998年9月17日、34-35頁、大宅壮一文庫所蔵:100039473 

外部リンク

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