メインメニューを開く
星の創造。ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画より。

天地創造(てんちそうぞう)とは、厳密にはユダヤ教ヘブライ語聖書キリスト教旧約聖書創世記』における世界の創造のことを指す。宗教絵画などでよく題材となる。[1]

目次

天地創造の流れ編集

 
ヒエロニムス・ボスの『悦楽の園』の扉、両翼を閉じると現れる外面に描かれた天地創造時の地球。おそらく天地創造三日目の大地、海、植物の創造時で、まだ人間は誕生していない

ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれている。

創世記 1章1-8節(口語訳聖書)

はじめに神は天と地とを創造された。

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

  • 1日目 をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、をつくり、ができられた。
  • 2日目 神は)をつくられた。
  • 3日目 神は大地を作り、が生まれ、地に植物をはえさせられた。
  • 4日目 神は太陽をつくられた。
  • 5日目 神はをつくられた。
  • 6日目 神は家畜をつくり、神に似せたをつくられた。
  • 7日目 神はお休みになった。

年代推定の歴史編集

旧約聖書学では、創世記の記述内容としての「天地創造が起こった年代」は果たしていつだったのかについての推定が繰り返されてきた。

ただし前提として、批評的な旧約聖書学では、天地創造物語は信仰書であり、信じている内容を記述しているという事は、批評的な全ての学者が認めており、もはや「実際に・事実として、いつ起こったことか、どうか」は、研究・議論されていない。ただし、「当時の人々がいつ起こったと考えていたのか?それはどういう信仰・根拠だったのか?」などは研究されている。

正教会では西暦で言うところの紀元前5508年のことだとしており、これを元年とした「世界創造紀元」を用いていた。

1654年に、英国国教会アイルランド大主教ジェームズ・アッシャーケンブリッジ大学副総長ジョン・ライトフット英語版が聖書の記述から逆算し、天地創造は西暦の紀元前4004年10月18日〜24日にかけて起こり、アダム創造は紀元前4004年10月23日午前9時と算出し、長らくキリスト教圏ではこの年代が信じられてきた(旧約聖書のモーセ五書に登場する族長全員の寿命を加算して算出したもの)。 その他にも天地創造の年代には諸説ある。

一般的ではない解釈編集

一般的ではない解釈も少なからず存在する。例えば、天地創造はある嵐で流された子どもの認識順序を表したものだ、というものである[2]

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 広義には神話における世界の創世全般を指すが神が世界を「創造」したというのは、ユダヤ教・キリスト教独自の思想であるため、そうではない他の宗教・神話に適用するのは、厳密には誤用である。
  2. ^ 古田武彦(編) 『倭国の源流と九州王朝―シンポジウム』 新泉社、1990年、92-104頁。ISBN 978-4787790224

関連項目編集