奥宮 正治(おくみや まさはる、嘉永4年11月12日[1]1851年12月4日) - 1927年昭和2年)7月20日[2])は、明治時代の司法官僚大審院検事宮城控訴院検事長。幼名は猪左馬[1]

経歴 編集

奥宮慥斎の長男として土佐高知藩土佐郡布師田村(現高知市布師田)に生まれる[1]1873年(明治6年)司法省に出仕する[3]1881年(明治14年)検事に進み、1890年(明治23年)広島地方裁判所検事正となり、神戸地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任し、1896年(明治29年)司法書記官に任じた[3]1899年(明治32年)大審院検事となり[3]、のち宮城控訴院検事長に就任した。

親族 編集

脚注 編集

参考文献 編集