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安達 時盛(あだち ときもり)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人安達氏の一族で、安達義景の子。安達泰盛の弟。

 
安達時盛
時代 鎌倉時代中期
生誕 仁治2年(1241年
死没 弘安8年6月10日1285年7月13日
改名 時盛、炉忍、道供
別名 城四郎
官位 秋田城介
幕府 鎌倉幕府 評定衆
氏族 安達氏
父母 安達義景小笠原時長の娘(異説あり)
兄弟 頼景大室三郎泰盛時盛重景
顕盛長景時景公義覚山尼
長井宗秀妻、宇都宮景綱妻、北条朝直
安達時長

仁治2年(1241年)、安達義景の子として生まれる。兄の泰盛と共に幕政に参加し、弘長3年(1263年)に執権北条時頼が死去すると、炉忍(後に道供)と号して出家した。

時頼没後も兄と共に幕政に参与し、文永4年(1267年)に評定衆に任じられる。ところが建治2年(1276年)9月、突如として寿福寺に入って隠棲した。このため、時盛の所領は幕府によってことごとく収公されている。また、兄の泰盛から義絶されているため、恐らくは何らかの政治的問題から隠棲に追い込まれたのではないかと推測される。

弘安8年(1285年)6月10日、隠棲後に移った高野山において死去した。享年45。兄の泰盛が霜月騒動で滅ぶ5ヶ月前のことである。時盛の跡は時長、師頼と続く。