宮崎勝次
宮崎 勝次(みやざき かつじ、1914年(大正3年)1月2日[1] - 没年不明)は、日本の実業家。東洋ラジエーター(現:ティラド)元常務取締役[1]。宮崎航空工業元専務取締役[1]。アニメ監督の宮崎駿は次男。版画家の宮崎敬介とアニメ監督の宮崎吾朗は孫。
経歴
編集東京都墨田区出身[2]。初代宮崎富次郎の次男として生まれる[3]。兄は東洋ラジエーター(現:ティラド)元社長の2代目宮崎富次郎[3]。
1934年(昭和9年)早稲田大学専門部商科卒業。1957年(昭和32年)松菱金属工業(現:日鉄プロセッシング)取締役、1961年(昭和36年)東洋ラジエーター(現:ティラド)監査役に就任[2]。
人物
編集戦前は飛行機作りに携わっていた人物で、「宮崎飛行機」という工場の工場長として働き、零戦の風防などのパーツ製造を担っていた[4]。宮崎駿いわく、父親は「享楽的」な性格だったらしく、戦闘機の制作に携わりながらも社会の動向に関しては他人事で、思春期の頃には口論になったこともあるという[4]。
略歴
編集家族
編集脚注
編集- ^ a b c “稲門紳士録刊行会『稲門紳士録』637頁”. dl.ndl.go.jp. 2024年9月23日閲覧。
- ^ a b c d “『大衆人事録 第22版 東京篇』みの部 790頁”. dl.ndl.go.jp. 2024年9月23日閲覧。
- ^ a b “『人事興信録 第13版下』み - 90頁”. dl.ndl.go.jp. 2024年9月23日閲覧。
- ^ a b “宮崎駿『風立ちぬ』堀越二郎のモデルは4人いた? 異端のジブリ主人公はいかにして生まれたのか”. Real Sound|リアルサウンド ブック (2023年7月22日). 2024年9月23日閲覧。
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第22版 東京篇』帝国秘密探偵社、1962年。
- 稲門紳士録刊行会 編纂『稲門紳士録』稲門紳士録刊行会、1980年。