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富山市立浜黒崎小学校(とやましりつ はまくろさきしょうがっこう)は、富山県富山市浜黒崎にある公立小学校

富山市立浜黒崎小学校
校舎
過去の名称 有為小学校
浜黒崎尋常小学校
浜黒崎国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 富山市
設立年月日 1873年(明治6年)6月25日
共学・別学 男女共学
所在地 931-8414
富山県富山市浜黒崎3301番地2[1]
外部リンク 公式サイト
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富山市立浜黒崎小学校の位置(富山県内)
富山市立浜黒崎小学校

目次

概要編集

  • 富山市の旧上新川郡浜黒崎村内(浜黒崎、浜黒崎浜通り、浜黒崎本町、横越、平榎、野田、 針日、日方江、古志町)に住む小学生が通う[2]
  • 当該校区内は全域が富山市立北部中学校の学区にあたる[2]
  • 富山県立富山学園内に富山市立浜黒崎小学校松風分校という分校がある[3]

歴史編集

 
1911年(明治44年)竣工の浜黒崎尋常小学校校舎
  • 1873年明治6年)6月25日 - 1872年(明治5年)8月2日公布の太政官布告第42号学制[4]及び1873年(明治6年)4月8日公布の文部省令第42号[5]に基づき、6月 浜黒崎村内の若宮安行邸を借上げ、第6大区第10番中学区第32番小学校として浜黒崎小学校が創立される[6][7]。当時の通学域には西水橋町辻ヶ堂、新保が含まれていた[8]
  • 1874年(明治7年) - 校舎を常盤神社南隣に新築する[6]
  • 1875年(明治8年) - 本村の豪農宝田安平が寄附金を募り、2階建校舎が完成する[6][7]
  • 1876年(明治9年)4月18日 - 明治9年太政官布告第53号の「新川県ヲ廃シ石川県ヘ合併」により石川県下となる[9]
  • 1883年(明治16年)5月9日 - 明治16年太政官布告第15号の「今般富山佐賀宮崎三縣ヲ置ク」によって富山県下となる[10]
  • 1887年(明治20年) - 1886年(明治19年)4月9日公布の勅令第14号小学校令第15条の「土地ノ情況ニ依リテハ小学簡易科ヲ設ケテ尋常小学科ニ代用スルコトヲ得」により[11]、修業年限4年の尋常科と修業年限3年の簡易科を設置[6]し、尋常科の方を「尋常有為小学校」と称し、簡易科の方を「簡易浜黒崎小学校」とした[8][7]。また、浜黒崎小学校の校区から西水橋町辻ヶ堂及び新保が除かれた[8]
  • 1888年(明治21年) - 有為小学校を廃止し[7]、尋常科は針原中村に在った研精小学校の分教場に移管となる[8]
  • 1891年(明治24年)2月11日 - 1890年(明治23年)10月30日に渙発された教育勅語が下附せられ、勅語奉戴式を挙行する[6][12]
  • 1892年(明治25年)9月 - 1890年(明治23年)勅令第215号小学校令第8条の「尋常小学校ノ修業年限ハ三箇年又ハ四箇年トシ」によって[13]修業年限を3年又は4年とし、簡易科を廃止する[6][7]。また同年4月の町村制施行に基き、浜黒崎村の区域を以て一個の尋常小学区とされ、浜黒崎小学校は浜黒崎村立尋常小学校となり尋常科が設けられた[8]
  • 1896年(明治29年) - 医師中村敬孝が台湾より帰郷し、校旗が寄贈される[7]
  • 1897年(明治30年)- 校舎を現在地に移転[6]。また就学率の良好なるを以て上新川郡郡長より大鈴が附与される[7]
  • 1899年(明治32年) - 補習科を置く[7]
  • 1901年(明治34年) - 1890年(明治23年)勅令第215号小学校令第七条「尋常小学校又ハ高等小学校ニ補習科ヲ置クコトヲ得」により[13]、設置されていた補習科を廃止[6]。修業年限を4ヶ年とする[7]
  • 1907年(明治40年)3月21日 - 明治40年勅令第52号の「尋常小学校ノ修業年限ハ六箇年トス」により[14]修業年限を6年に延長する[6][7]
  • 1911年(明治44年)12月22日 - 新校舎落成[15][7]。また校歌ができる[7]
  • 1917年(大正6年)2月 - 「吉田欽一郎先生謝恩碑」が建立される[6]。吉田欽一郎は1884年(明治17年)より訓導及び校長として当校に在任し、『浜黒崎郷土史資料』を著して郷土史料編纂に努めた人物である[6]
  • 1920年(大正9年) - 農業補修学校を新設する[7]
  • 1923年(大正12年)6月 - 創校五十周年祝賀式を催行[16][7]
  • 1924年大正13年)10月 - 大正天皇貞明皇后御真影が下付された[6]
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 高等科を設置し、上新川郡浜黒崎尋常高等小学校となる[6][7]
  • 1934年昭和9年) - 奉安殿を建設[6]。高等科を廃し、村立農業専修学校を設置[7]
  • 1937年(昭和12年) - 運営資金援助等の目的により浜黒崎小学校後援会が設立される[6]
  • 1940年昭和15年) - 浜黒崎村富山市に編入され、校名を富山市立浜黒崎尋常小学校と改称する[6][7]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 1941年(昭和16年)勅令第148号国民学校令により[17]、校名を富山市立浜黒崎国民学校と改める[6][7]。また給食調理室を増築する[7]
  • 1946年(昭和21年)4月 - 浜黒崎小学校後援会を浜黒崎小学校教育振興会に改組する[6]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 昭和22年法律第26号教育基本法により[18]、校名を富山市立浜黒崎小学校と改称する[6][7]
  • 1948年(昭和23年) - 育友会設立[6]
  • 1950年(昭和25年)4月 - 当校校区全域が富山市立北部中学校の校区と定められる[19]
  • 1966年(昭和41年)3月 - 木造校舎老朽化のため校舎を鉄筋校舎に建て替えた(前館)[6][7]。総工費は3538万円であり、鉄筋コンクリートの2階建てであった[20]。次いで同年12月には体育館完成、工費は1331万813円であった[7]
  • 1973年(昭和48年)6月 - 創校百周年紀念式典を行い、紀念碑を建立[6][7]
  • 1976年(昭和51年)6月 - 四階建新校舎(後館)完成[6][7]
  • 2014年(平成26年)4月 - 富山県立富山学園内において学校教育法に基づく教育を行うため分校である富山市立浜黒崎小学校松風分校を設置[3][21]

交通編集

脚注編集

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  1. ^ 富山市立学校設置条例 別表第1(第2条関係)
  2. ^ a b 小中学校通学区域表 - 富山市
  3. ^ a b 富山市立浜黒崎小学校松風分校 富山市立北部中学校松風分校 - 富山市教育委員会
  4. ^ 『法令全書 明治五年』、1889年(明治22年)1月、内閣官報局
  5. ^ 『法令全書 明治六年』、1889年(明治22年)5月、内閣官報局
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 浜黒崎郷土編纂委員会、『浜黒崎の近現代史』、2000年(平成12年)9月、富山市浜黒崎自治振興会
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 富山市役所編、『富山市史』第五巻、1980年(昭和55年)3月、富山市役所
  8. ^ a b c d e 吉田欽一郎、『浜黒崎村史』、1954年(昭和29年)10月、浜黒崎校下郷土史編纂委員会
  9. ^ 『法令全書 明治九年』、1890年(明治23年)3月、内閣官報局
  10. ^ 『法令全書 明治十六年』、1891年(明治24年)3月、内閣官報局
  11. ^ 『官報』第829号、明治19年4月10日、内閣官報局
  12. ^ 『官報』第2203号、1890年(明治23年)10月31日、内閣官報局
  13. ^ a b 『官報』第2183号、1890年(明治23年)10月7日、内閣官報局
  14. ^ 『官報』第7105号、1907年(明治40年)3月21日、内閣印刷局
  15. ^ 『富山日報』1911年(明治44年)12月25日、富山日報社
  16. ^ 『富山日報』1923年(大正12年)6月19日、富山日報社
  17. ^ 『官報』第4243号、1941年(昭和16年)3月1日、内閣印刷局
  18. ^ 『官報』第6061号、昭和22年3月31日、大蔵省印刷局
  19. ^ 富山市史編修委員会編、『富山市史』第三巻、1960年(昭和35年)4月、富山市役所
  20. ^ 富山市編、『富山市史』第四巻、1969年(昭和44年)12月、富山市
  21. ^ 学校経営計画 - 富山市教育委員会
  22. ^ フィーダーバス時刻表・路線図案内 - 富山ライトレール

関連項目編集