富雄町

日本の奈良県生駒郡にあった町

富雄町(とみおちょう)は奈良県北西部、生駒郡に属していた大和川水系の支流・富雄川を擁する。富雄学園前を中心とする現在の奈良市西部の広い範囲に当たり、北端は現在の奈良市東登美ヶ丘、南端は奈良市石木町に位置していた。

富雄町
廃止日 1955年3月15日
廃止理由 編入合併
奈良市、富雄町、伏見町、帯解町、辰市村、五ヶ谷村、明治村 → 奈良市
現在の自治体 奈良市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
生駒郡
総人口 7,165
国勢調査1950年
隣接自治体 奈良県:奈良市大和郡山市、生駒郡生駒町伏見町北倭村
富雄町役場
所在地 奈良県生駒郡富雄町大字中
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地名の由来編集

日本書紀』および『古事記』に描かれた神武天皇神武東征に由来する。

西暦紀元前663年(天鈴55年)、のちに神武天皇として即位する神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)は、この地を支配する豪族・長髄彦と戦った。磐余彦尊が苦戦するなか、急に空が暗くなり、雹が降り出す。その時、金色の(とび)が飛来して弓先に止まり、神通力を得た磐余彦尊は長髄彦を討って勝利を収めた。この様子を見た人々は、当地を鵄邑(とびのむら)と名付けた[1]。後世、鵄邑は鳥見郷または鳥見庄と呼ばれるようになり、さらに変化して富雄村となった[2]

ただし、地名の由来となった神武天皇聖蹟碑は富雄町ではなく、隣接する生駒郡北倭村(現・生駒市)に存在する[3]

この故事は、奈良市への編入前年の1954年(昭和29年)に富雄町教育委員会が発行した「富雄町史」にも記載されている(奈良市立西部図書館で閲覧可能)。

歴史編集

  • 1889年明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、添下郡 二名村, 三碓村, 中村, 大和田村, 石木村が合併し富雄村が成立。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡を生駒郡に変更。
  • 1953年昭和28年)4月1日 – 町制施行し、富雄町となる。
  • 1955年(昭和30年)3月15日 – 伏見町、帯解町、辰市村、五ヶ谷村、明治村とともに奈良市へ編入され廃止。

交通編集

鉄道路線編集

出身・ゆかりの有名人編集

奈良市編入後の富雄地区に関連する人物については、奈良市の項目を参照。

関連項目編集

脚注編集