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将棋マガジン』(しょうぎマガジン)は、日本将棋連盟1978年から1996年まで発行していた将棋専門誌月刊)。

目次

概要編集

1978年創刊。定価は610円(本体592円、1995 - 1996年時点)。

将棋世界」誌とともに日本将棋連盟発行の月刊誌であるが、将棋世界誌よりも初心者が読みやすい内容で、独自の企画も豊富であった。

羽生善治の七冠独占による将棋ブームで世間に将棋ファンが増えていた頃、1996年10月号をもって謎の発行終了をする[1]。最終号は、奇しくも羽生の七冠の一角を三浦弘行が崩したことを伝えるものであった。

エピソード編集

  • 佐藤康光森内俊之のなんでもアタック」の企画で、佐藤が目隠し五面指しに成功[2]。その他の企画ではペア将棋、詰将棋早解き、古典棋譜挑戦、10秒将棋がある。[3]

主な記事編集

  • 棋戦(主にタイトル戦)の情報、解説
  • 河口俊彦「対局日誌」(創刊以来の長寿連載)
  • 米長邦雄のスーパーアドバイス(1987年)[4]
  • さわやか流・米長邦雄のタイトル戦教室(1996年1-5月号)
  • 佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック(1996年1-10月号)
  • 神吉宏充の「禁断の戦法」(最終号まで全22回[5]
  • 灘蓮照「四枚落ちどんとこい」[6]
  • 青野照市「プロの大局観・アマの大局観」[7]
  • 羽生善治「寄せの構図」[8]
  • 羽生善治「ハブの目」[9]
  • タマの目(鹿野圭生の関西レポート、最終号まで全41回[10]
  • 将棋ギネス(記録のページ)
  • スーパー段位認定
  • 詰将棋、次の一手
  • コマゴマ掲示板。読者投稿コーナー。休刊前の1995年から96年頃には、当時の「羽生ブーム」の影響で、女性ファンのイラスト投稿が多く、将棋雑誌とは思えない誌面となっていた。常連投稿者の中には、湯川かおる、翔みなら[11]など、後にプロ漫画家デビューした人も存在した。最終号にはカラーページでの掲載が実現した[12]

脚注編集

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  1. ^ 将棋マガジン創刊と同時に日本将棋連盟編集部に入ったという観戦記者青島たつひこによると、休刊の決定した時期は6月初めであったという(『将棋マガジン』1996年10月号18頁)。最終号の編集後記において、二上達也は「本誌の在り方については何年も前からの検討課題であった。どこでどう何を決断するかが問題であった」と述べ、急な休刊決定について陳謝している(『将棋マガジン』1996年10月号130頁)。
  2. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号28頁
  3. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号28頁
  4. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号108頁
  5. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号44頁
  6. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号30頁。森内によると、アマチュア時代、「対局日誌」と共に好きだったという。
  7. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号80頁
  8. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号105頁。1988年より連載された。『ミラクル終盤術』という題名で単行本化された。
  9. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号107頁。1993年1月号より連載された。羽生による自戦紹介。1995年8月号に連載が終了した時、羽生の肩書きは六冠王となっていた。
  10. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号50頁
  11. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号80頁
  12. ^ 『将棋マガジン』1996年10月号67頁

関連項目編集