小原栄次
日本の弁護士、弁理士 (1897-1957)
小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13日 - 1957年〈昭和32年〉1月20日)は、日本の弁護士、弁理士[1][2]。
人権擁護委員東京連合会副会長[2]、日本弁護士連合会人権擁護第一部長[2]、東京地方裁判所調停委員[2]、東京弁護士会常議員[2]を歴任した。鹿児島県出身。族籍は鹿児島県士族[1]。三女は声優、女優、ナレーター、朗読家の小原乃梨子[3]。
経歴
編集鹿児島県士族・小原萬次郎の息子として同県日置郡上伊集院村上谷口に生まれる[4]。母は奥休太郎の長女・イネ[1]。1937年(昭和12年)に家督を相続した。1914年(大正3年)博約義塾(現・樟南高等学校)を卒業後、上京し、1917年(大正6年)、中央大学法科を卒業[4]。卒業後、農商務省に奉職。その後辞職し、小田原紡織や羊毛整製などで敏腕を振るった[4]。
1921年(大正10年)、弁護士試験に合格し、1922年(大正11年)、東京地方裁判所に登録して弁護士を開業[4]。翌年の1923年(大正12年)に弁理士を開業した[4]。その傍ら大野本店や岩田鉄工所、日本マレーブル、福寿鉱業の各顧問を歴任[1]。
人物
編集家族
編集小原家
編集脚注
編集参考文献
編集- 『日本女性録』中央探偵社、1958年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。