小林 圭二(こばやし けいじ、1939年5月6日[1] - 2019年5月27日[2])は、日本原子力工学者関東州(現:中国大連市出身。

経歴・人物 編集

1953年埼玉県熊谷市引き揚げる。埼玉県立熊谷高等学校をへて京都大学工学部原子核工学科卒業。京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所助手を経て、2002年に同講師2003年、定年退職。

当初は原子力発電の実用化を推進する立場で研究していたが、やがて批判に転じる。

1973年四国電力伊方原子力発電所1号建設に反対する住民訴訟を支援。高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)では、原告特別補佐人、証人を務めている。

2019年5月27日、膵臓癌などのため死去[2]

著書 編集

単著 編集

  • 『高速増殖炉もんじゅ 巨大核技術の夢と現実』(1994年七つ森書館
  • 『動かない、動かせない「もんじゅ」 高速増殖炉は実用化できない』(2010年、七つ森書館)

共著 編集

脚注 編集

  1. ^ 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.229
  2. ^ a b 元京大原子炉6人組の一人 小林圭二さん死去80歳”. 毎日新聞. 2019年5月27日閲覧。

関連項目 編集