小野 吉彦(おの よしひこ、1853年嘉永5年12月[1][2])- 1908年明治41年)3月3日[1][2])は、明治期の銀行家、政治家衆議院議員

小野吉彦
おの よしひこ
生年月日 1853年
出生地 日本の旗 日本 豊後国大分郡
(現大分県大分市)
没年月日 1908年3月3日
所属政党 (自由党→)
同志政社

選挙区 大分県第1選挙区
当選回数 1回
在任期間 1892年2月 - 1893年12月30日

大分県の旗 第8・12代 大分県会副議長
在任期間 1891年9月10日- 1892年7月
1894年11月 - 1895年10月

大分県の旗 大分県会議員
在任期間 1890年 - 1892年
1893年 - 1895年

大分郡会議員
テンプレートを表示

経歴 編集

豊後国大分郡、のちの大分県[1]大分郡豊府村[3][2](大分町を経て現大分市南大分)で、小野吉郎の長男として生まれた[3]

大分郡会議員、同参事会員を務める[1][2]。1880年(明治13年)大分県会議員に選出され、衆議院議員在任中を除き、1895年(明治28年)まで務め[3]、この間、副議長に2度在任した[3][4]。1882年(明治15年)立憲改進党の結党に設立準備委員として参画[3]。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(大分県第1区、無所属)では落選したが[5]、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(大分県第1区、弥生倶楽部(自由党))では元田肇に競り勝って当選し[3][5]、その後、同志倶楽部(同志政社)に所属し衆議院議員に1期在任した[1][2]

1893年(明治26年)大分銀行の設立に参画し監査役に就任し[3]、取締役を経て、1900年(明治33年)1月、同頭取となる[1][2][3]。1898年(明治31年)大分県農工銀行の設立に際して頭取に就任し[1][2][3]、死去するまで両行頭取を務めた[3]

また、大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)の移転問題に際して、所有の豊府村律院(現大分市上野丘)の土地を提供している[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』114頁。
  2. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』84-85頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『大分百科事典』131頁。
  4. ^ 歴代議長・副議長一覧”. 大分県ホームページ. 2021年8月14日閲覧。
  5. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』58頁。

参考文献 編集

  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 大分放送大分百科事典刊行本部編『大分百科事典』大分放送、1980年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。