屋島丸台風

1933年に発生した台風

屋島丸台風(やしままるたいふう)は、1933年昭和8年)10月20日に日本に上陸し、主に西日本に被害をもたらした台風である。定期客船屋島丸」が暴風と大波により沈没したため「屋島丸台風」という通称で呼ばれる。

屋島丸台風
発生期間 1933年昭和8年)10月20日前後
寿命
最低気圧 953.3 hPa(石垣島)
最大風速
(気象庁解析)
32.8 m/s(石垣島)
被害総額
死傷者数 死者110人・行方不明者16人・負傷者9人
被害地域 西日本

概要

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10月11日にヤップ島の南で発生。当時は熱帯低気圧と台風の区別が明確でなく、台風の定義も曖昧であったため、いつ台風に昇格したかは不明。次第に発達しながら北西に進み、19日朝には石垣島に接近、島は台風の目に入った。当時の石垣島測候所長の岩崎卓爾は、その際の観測値の変化、天候の推移、生物の動向を詳しく報告している[1]

石垣島を通過した頃から台風は進路を北東に変え、速度を上げて20日早朝に鹿児島県に上陸、四国を通って瀬戸内海に出た後、正午ごろ兵庫県相生市付近に上陸し、中国地方東部を通って日本海に入り、21日昼には青森県を経て太平洋に抜けた。

観測記録

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最低気圧

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石垣島:953.3hPa
鹿児島:970.1 hPa
徳島:983.4 hPa
青森:986.7 hPa

最大風速

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石垣島:32.8 m/s
鹿児島:19.1 m/s
徳島:17.3 m/s
青森:18.4 m/s

被害

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別府一阪神間の定期客船「屋島丸(946t)」は、20日朝に高松港から神戸港に向け出港した。屋島丸は正午過ぎに大阪湾に入ったが、台風が船の西側を通過して、いわゆる「危険半円」に入ったために風と波が強まり浸水、午後1時5分頃、神戸市須磨沖で沈没した。 乗客41人、船員26人死亡、乗客2人行方不明[2]。 台風は、本土に上陸した後は急速に衰えたため、屋島丸の遭難が目立つほかは、被害は比較的軽微であった。

  • 死者:110人
  • 行方不明:16人
  • 負傷:9人
  • 全壊家屋:899戸
  • 半壊家屋:685戸
  • 流失家屋:16戸

(以上の数字は、財団法人日本気象協会 『1940~1970 台風経路図30年集』(1973年)による)

脚注

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  1. ^ 大谷東平 『台風の話』 岩波新書 1971年第19刷
  2. ^ 日本の重大海難 海員懲戒法時代(明治30年~昭和22年)”. 国土交通省海難審判所. 2023年2月16日閲覧。

参考文献

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  • 大谷東平 『台風の話』 岩波新書 1971年第19刷
  • 財団法人日本気象協会 『1940~1970 台風経路図30年集』 1973年