屠蘇
概要
編集「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)るという説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解釈がいくつかある。中国の後漢の時代に華佗が発明した薬酒であり、平安時代初期の嵯峨天皇の時代に日本に伝来したとされる[1]。また、唐時代の名医である孫思邈(孫思獏)が考えたという説があり、孫思邈が住んでいた草庵「屠蘇庵」でふるまい定着したとされる[2]。
数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を赤酒・日本酒・みりんなどに浸して作る。
屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供される。屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子(ちょうし)、屠蘇を注ぐ盃、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せる盆からなる。屠蘇器には、漆器製、陶磁器製、ガラス製など様々な種類がある。
小・中・大の三種の盃を用いて飲むが、「一人これを呑めば一家疾無く、一家これを呑めば一里病無し」と言われ、日本の正月の膳などに呑まれる。
屠蘇散
編集屠蘇散の処方は『本草綱目』では赤朮・桂心・防風・菝葜・大黄・烏頭・赤小豆を挙げている。現在では山椒・細辛・防風・肉桂・乾姜・白朮・桔梗を用いるのが一般的である。人により、健胃の効能があり、初期の風邪にも効くという。時代、地域などによって処方は異なる。
漢方薬と同様、ある人物の胃弱や風邪に効いたからといっても、他者にあてはめるのは危険である。白朮ひとつとっても、むくむほど水分滞留体質の人にはよいが、水分不足体質や水分代謝機能の高い体質の人が飲むと、炎症悪化や血行不良等につながる恐れがある。生薬や屠蘇散の処方に関する専門知識を有する者に、飲用の是非を尋ねることが望まれる。もしくは食用レベルにまで処方量を減らし、薄めることが無難である(疾病に対し医師より処方される医薬品漢方は、煎じ薬換算で=一日分量20g程度。これに対し市販の屠蘇散の一回量は1割程度の2g程度であるため、食用範囲であり、かつ医薬効能は見込めない“気休め”程度である)。
風習
編集正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代から確認できるが[4]、現在の中国には見当たらない[5]。 日本では平安時代から確認できる。
宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町幕府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた[6]。この儀礼はやがて庶民の間にも伝わるようになり、医者が薬代の返礼にと屠蘇散を配るようになった。現在でも、薬店が年末の景品に屠蘇散を配る習慣として残っている[6]。
年末が近くになると一部の薬局・薬店でティーバッグタイプの屠蘇散が販売・もしくは味醂に添付されている場合がある。日本酒・味醂などをコップなどの容器に注ぎ、袋に入った屠蘇散を大晦日の夜に浸けて元旦に頂く(生薬が原料で独特の香りと味がする。好みによって酒類や砂糖などの甘味を調製する)。
その他
編集画像一覧
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神社で振る舞われるお屠蘇
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屠蘇を作るための屠蘇散のティーバッグ
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屠蘇散
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屠蘇器(漆器製)
関連項目
編集脚注
編集- ^ 国税庁 その他のお酒に関するもの
- ^ 生薬ものしり事典【2018年1月号】1年の邪気を払う「屠蘇」 出典:牧幸男『植物楽趣』 サイト:養命酒製造株式会社
- ^ お屠蘇
- ^ 「中国古代の年中行事 第一冊 春」p94 2009年 中村裕一著 汲古書院 なお、同書では、梁の「荊楚歳時記」における屠蘇酒への言及は、青木正児・中村喬らが既に指摘するように、後代のものの混入であり、恐らく隋の杜公瞻の注に基くのではないかとしている。(そうであれば屠蘇酒の習慣は隋に遡ることができる。)
- ^ 「中国古代の年中行事 第一冊 春」p90
- ^ a b 「年中行事事典」p542 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ 小笠原敬承斎 『武家の躾 子供の礼儀作法』 光文社新書 2016年 ISBN 978-4-334-03942-4 p.156.
- ^ 税制上も「みりんに類似する」ことになっている。