山下幸内

江戸時代中期の武士

山下 幸内(やました こうない、生没年不詳)は、江戸時代中期の浪人

紀州藩の浪人で江戸麻布青山周辺に居住し、謙信流軍学者であると言われているが[1]詳細は不詳。1721年享保6年)、幸内は目安箱に諫書を投稿したが、これが世に言う山下幸内上書[2]であり、享保の改革を批判した内容である。特に経済政策では、奢侈禁令のみを強制するのは金銀流通を停滞させ、市民救済する政策ではないと批判し、また8代将軍徳川吉宗が紀州藩主時代に施行していた小政策は天下の大局には適用出来ないと決め付けた。

これは当時の政局担当者の関心を集め、町奉行寺社奉行勘定奉行のいわゆる三奉行は上書を書写保存をした。

また、寛政改革の際、老中松平定信は、上書を諸老中に提示し、彼らの意見を求める等大きな影響を与えた。

演じた俳優

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脚注

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  1. ^ 滝本誠一編『日本経済叢書 巻5』(日本経済叢書刊行会,1915)に掲載の「山下幸内上書 并附論」18頁。「彼者は越後流の軍者と承り伝ひ候」とした上、上書について「文面所々越後流の唱相見申候」とある。実際、上書には、上杉謙信の名も挙げた兵法に関する記述がある(同12頁)。
  2. ^ 前掲「山下幸内上書 并附論」11頁以下に全文掲載。

関連項目

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