山下若松

昭和時代前期の台湾総督府官僚

山下 若松(やました わかまつ、1891年明治24年)2月6日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚屏東市長、台中市長。旧姓は川上[2]

山下若松

経歴・人物

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川上勝右衛門の三男として岡山県岡山市に生まれ、のち山下全増の養子となる[2]岡山県商業学校、岡山県立高等簿記学校を経て[1]1912年関西大学商業学科第2学年を修了する[2]。この間、神戸税務監督局に勤めた[3]

台北庁税務吏を皮切りに、専売局書記、府秘書課統計主務を経て[3]1934年(昭和9年)5月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任。ついで1937年(昭和12年)11月、台北州文山郡守に転じ、1939年(昭和14年)4月、新竹州苗栗郡守、1940年(昭和15年)6月、台南州新豊郡守を歴任したのち、1941年(昭和16年)6月、屏東市長に就任し、さらに1943年(昭和18年)1月には台中市長となった[2]

脚注

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  1. ^ a b 太田 1940, 309頁.
  2. ^ a b c d e 興南新聞社 1943, 410頁.
  3. ^ a b 台湾新民報社 1937, 366頁.

参考文献

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