山内 豊毅(やまうち とよたけ、宝暦2年(1752年) - 安永8年6月16日1779年7月29日))は、土佐国土佐新田領の世嗣。のちに土佐新田初代藩主となる旗本山内豊産の長男。母は池田政晴の娘。正室は戸沢正備の娘。通称は主膳。

人物 編集

土佐高知新田3000石を領した山内豊産の嫡子として生まれる。宝暦3年(1763年)に将軍徳川家治御目見する。しかし、家督を継ぐことなく安永8年(1779年)に28歳で死去した。父が立藩した土佐新田藩は、養子に入った豊泰が継承した。