山内 豊産(やまうち とよただ、享保7年11月13日1722年12月20日) - 寛政3年11月26日1791年12月21日))は、土佐新田藩の初代藩主。

土佐中村藩嫡子だった山内豊成の四男。正室は池田政晴の娘。子は山内豊毅(長男)、山内豊秀(次男)、娘(有馬則満正室)。官位は従五位下、遠江守。通称は時五郎、松助、式部、頼母、式部。

享保10年(1725年)12月6日、叔父の旗本山内豊清(麻布山内家)の養子となる。元文5年(1740年)12月、将軍徳川吉宗に拝謁する。宝暦6年(1756年)11月4日、豊清の死去により、家督を相続する。安永8年(1779年)10月26日、山内豊敷の五男豊泰と養子縁組をすること、大名に格上げすることを本家から申し入れられて同意する。安永9年12月11日、従来の3000石に加え、本家土佐藩主の山内豊雍から廩米1万俵を分与されて高知新田藩を立藩し、その初代藩主となった。天明元年12月18日、従五位下、遠江守に叙任する。天明3年(1783年)5月21日、家督を養嗣子の豊泰に譲って隠居し、寛政3年(1791年)11月26日に70歳で死去した。法号は古松院半吹庭泉大居士。墓所は東京都港区麻布曹渓寺