山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 1996年2月6日)は、日本の経営者日本鋼管社長、会長を務めた。新潟県新潟市出身[1]

経歴・人物 編集

1946年東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に日本鋼管に入社した[1]。経理部長などを経て、1976年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に副社長に就任し、1985年6月に社長に昇格した[1]1992年6月から会長を務めた[1]

経済同友会副代表幹事も務めた[1]

1986年藍綬褒章を受章した[1]

1996年2月6日肺炎のために死去[2]。72歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 「現代物故者事典 1994-1996 p590」
  2. ^ 1996年 2月7日 日本経済新聞 夕刊 p1
先代
金尾實
日本鋼管社長
1985年 - 1992年
次代
三好俊吉