山崎 房一(やまざき ふさいち、1926年4月18日[1] - 1993年6月25日)は、日本教育者新家庭教育協会初代理事長[2]社団法人国際MRA日本協会理事[2]などを務めた。

山口県都濃郡鹿野町出身、山口県立下松高等学校卒業[1]1949年ロンドンに渡り、MRA道徳再武装運動)に参加。1961年日立造船入社。1972年9月[3]陽光学院を創立[2]1982年1月[3]新家庭教育協会創立[2]、同協会理事長に就任[2]1993年6月25日、逝去。

人物

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  • 陽光学院では、小学生英語を教えていた[3]
  • 新家庭教育協会では、母親心理学訓練講座・父親心理学訓練講座を開設し、NHKラジオや民放各社で紹介され、話題を呼んだ[2]
  • を書くことも好きであり、自身の著書にも多くの自作の詩が掲載されている。

著書

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脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.624
  2. ^ a b c d e f 山崎房一 | 人名事典”. www.php.co.jp. PHP研究所. 2023年2月19日閲覧。
  3. ^ a b c 著書『心がやすらぐ魔法のことば』より

関連項目

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外部リンク

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