山本浩之 (1966年生の陸上選手)
来歴・人物 編集
20歳の時、バイク事故がもとで車いす生活となった。退院と同時に車いすバスケットボールに取り組み、10年ほどして車いすマラソンに転向した。今日では、パラリンピックや国際大会で日本代表選手として活躍する。
その一方で、2011年に高校生だった息子(妻の連れ子)を飲酒運転による事故で亡くしたことから、妻と共に被害者遺族の立場で飲酒運転撲滅に向けた活動を続けている[1]。
主な記録 編集
- 2007年
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- 大分国際車いすマラソン 2位(国内1位)
- 2008年
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- 仙台国際ハーフマラソン 優勝
- 北京パラリンピック フルマラソン6位入賞(トップと5秒差の1時間23分22秒)
- ニューヨークシティマラソン 8位
- 2009年
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- 大分国際車いすマラソン 2位(国内1位)
- 国際パラリンピック委員会認定の車いすマラソンT54クラス年間世界ランキング1位(※)
- 2011年
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- 東京マラソン 3位
- ソウル国際車いすマラソン 3位
- ソウル中央マラソン 3位
- 2012年
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- 東京マラソン 優勝
- 大分国際車いすマラソン 2位(国内1位)
- ロンドンパラリンピック 22位
- 接触によりタイヤが外れるアクシデントがあり、トップ集団から脱落し入賞の見込みが全くなくなったにも拘わらず、最後まで走り続け完走した。[2]
※出典:IPC公式サイト