山田徹一
山田 徹一(やまだ てついち、1921年(大正10年)3月12日[1][2] - 1997年(平成9年)2月28日[1][2])は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。
山田徹一 やまだ てついち | |
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生年月日 | 1921年3月12日 |
出生地 | 日本 岡山県岡山市 |
没年月日 | 1997年2月28日(75歳没) |
出身校 |
関西中学校卒業 (現関西高等学校) |
前職 | 会社経営 |
所属政党 | 公明党 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1965年7月4日 - 1977年7月3日 |
経歴
編集岡山県[3]岡山市で生まれる[1][2]。1940年(昭和15年)関西中学校(現関西高等学校)を卒業した[1][2]。会社経営を行う[3]。
1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で出馬して当選[1][2][3][4]。1971年(昭和46年)6月の第9回通常選挙でも再選され[5]、参議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。その間、創価学会総務、公明党中小企業局長、同統制委員長、参議院公明党議員団長、参議院懲罰委員長、公明党財務委員長、同岡山県本部長、国土開発幹線自動車道建設審議会委員などを務めた[1][2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1997-1999』日外アソシエーツ、2000年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 浅井亨 |
参議院懲罰委員長 | 次代 春日正一 |