公明党

日本の政党。1998年以前については別アイテムがある(Q10314595)

公明党(こうめいとう、英語: Komeito)は、日本の政党

日本の旗 日本政党
公明党
Komeito
New Komeito Party Headquaters.JPG
公明党本部
代表 山口那津男
副代表 北側一雄
古屋範子
幹事長 井上義久
参議院議員会長 魚住裕一郎
成立年月日 1964年(昭和39年)11月17日
本部所在地
〒160-0012
東京都新宿区南元町17
北緯35度40分44.4秒 東経139度43分16.9秒 / 北緯35.679000度 東経139.721361度 / 35.679000; 139.721361
衆議院議席数
35 / 475   (7%)
(2014年12月14日現在)
参議院議席数
25 / 242   (10%)
(2016年7月26日現在)
都道府県議数
208 / 2,657   (8%)
(2016年12月31日現在[1]
党員・党友数
465,074人
(2015年12月31日現在[2]
政治的思想・立場 中道主義[3]
機関紙 公明新聞
政党交付金
30億5187万 円
(2016年8月31日決定[4]
公式サイト 公明党
シンボル 赤い太陽
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目次

概要編集

日本仏教宗教法人創価学会[5]を母体として、中道を目指して結成された。自由民主党自公連立政権を形成する与党第二党であり、国政第三党である[6]。略称は公明。1字表記の際は、と表記される。

英語表記は、結党時の1964年(昭和39年)から新進党合流時の1994年(平成6年)までは「Komeito」だったが、1998年(平成10年)、公明党再結成に伴い「New Komeito」に改めた。2014年(平成26年)9月25日、公明党結党50年を機に「Komeito」との英語表記を復活させた[7]

現在の党キャッチコピー「希望が、ゆきわたる国へ。」

歴史編集

中道政党としての結党編集

公明党は宗教団体である創価学会を主な支持基盤とし、戦後新興宗教として規模を拡大させた学会が政界進出を目的に文化部を創設(1954年11月)したのが源流である。翌1955年の第3回統一地方選挙で首都圏の自治体の議会に53議席を得た。1956年には国政進出を果たし、第4回参議院議員通常選挙では3議席を獲得した[8]。 初期の政界進出の旗振り役となったのは学会の会長である戸田城聖池田大作で、その動機としては以下のようなものが挙げられる。

  • 国立戒壇の建立を国会で決議し、創価学会の国教化を目指した。
  • 各界に創価学会の人材を送り込み、より良き社会をつくる(総体革命。政界進出はその一部である)。
  • 学会は戦前に当局の弾圧を受けた経験があるため、宗教法人としての立場を安定させるために政界で確たる地位を占めるため。公明党は特に、東京都議会における地盤形成を重視し続けている。
  • 選挙活動を宗教活動の一環に組み込むことで信者の高揚感、連帯感を高めて組織を引き締め、更に学会の宣伝、新たな学会員の獲得を図る。

1960年に池田が学会長になると政界進出の動きは加速し、1961年には政治局、11月には政治団体の公明政治連盟へと改組し、メディアの発信や各界への人材輩出を強化した[9]

1963年の都議選では17議席を獲得し、国政の二大政党である自由民主党日本社会党に次いで第三党に躍進する。1964年、公明政治連盟が切り離されて独立し、国政政党・公明党が誕生した。11月17日の結党大会は当時国内で最大級の施設であった日大講堂で開かれ、15000人の党員が集結した。公明党は綱領で自社二大政党を権力腐敗・政治不信の元凶であると指弾し、自身を中道政党と位置付けた[10]

その後、国政では1967年には衆参両院で45議席を得る大所帯となり、国会でも第三党となる。この年の党大会で委員長に竹入義勝、書記長に矢野絢也が就任する。結党当初の公明党は国政、地方ともに行政当局との関係が薄かったため、徹底した現場主義、調査主義に力を入れる。特に在日米軍基地や米国領沖縄の基地問題については防衛施設庁以上の調査を行い、防衛施設庁から「大いに参考になる」というコメントが出されるほどであった。公明党の行動は即物的なものが多く、同じ野党でも、イデオロギーに基づく観念論的議論を行っていた社会党や共産党とは対照をなした[11]

言論出版妨害事件と政教分離編集

1969年末、創価学会を批判する藤原弘達『創価学会を斬る』の出版の中止を公明党が自民党の田中角栄幹事長に働きかけていたことが公になる(言論出版妨害事件)。翌1970年にかけて、創価学会が同様の手口を常習的に行っていたことが暴露され、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」を侵すものとして社会的な批判を受けた。公明党の伸張に危機感を抱いていた他の野党は国会で徹底追及を行い、池田の証人喚問まで要求したが、佐藤政権は野党分断を狙って要求をかわし続け、池田の喚問は回避された。以降しばらく、公明党は自民党に対する事実上の閣外協力を余儀なくされる[12]

1970年5月3日、学会総会で池田が事件を謝罪し、学会と党との間の体質の改革を宣言する。具体的には政教分離の徹底で、

  • 学会幹部の議員兼職を廃する。池田自身も、今後とも政界進出はしない。
  • 党の自立性を高め、学会は党の支持団体の立場に徹する。選挙などの政治活動ははあくまで党として行い、学会は支持団体としての応援に留まる。
  • 「国立戒壇」構想は国教化を意味するものではなく、以降、この言葉を一切使わない。
  • 学会員の活動で問題を起こした時には厳正に処罰する。

6月25日、党大会で新しい綱領が制定され、宗教用語がすべて廃された[13]

事件をきっかけに、公明党は革新色を強めてゆく。その代表的なものが、日華国交断絶と中華人民共和国の国家承認である。冷戦下にあって日本政府は台湾の中華民国を一貫して国家承認していたが、1970年頃には大陸の中国共産党による中国を国家承認する国が増えていた。当時の左派野党では、共産党は日中間でソ連の評価を巡って論争があり、社会党は文化大革命の評価を巡って党内で対立していた。公明党は中道政党でありながら中国共産党に積極的にアプローチできる位置にいたのである。1971年6月、竹入委員長以下訪中団が訪問し、周恩来首相と会談、共同声明を発表する。この後米国のリチャード・ニクソン大統領の訪中(ニクソン・ショック)や国際連合の中国共産党国家の加盟承認を経て1972年6月に第二次訪中団が訪問、元首待遇での歓迎を受ける。7月に田中角栄が首相になると三度目の訪中を行って竹入と周が会談、交渉結果をまとめた「竹入メモ」がきっかけとなり、田中内閣は中国共産党の国家承認に踏み切ることとなった[14]

伯仲国会と野党連携の模索編集

1970年、前年の総選挙で大敗した社会党では右派の江田三郎の主導で社公民路線が提唱され、江田は西欧型の社会民主主義を目指す「江田ビジョン」を提唱するが、マルクス・レーニン主義の左派との論争で劣勢を強いられる。それでも1972年の第33回衆議院議員総選挙では社公民三党で選挙協力を行ったが、公明党は言論出版妨害事件のイメージから大敗、民社党も議席を減らし、復調した社会党との連携がうまくゆかずに社公民路線は頓挫した[15]

1974年の第10回参議院議員通常選挙では野党各党は表向きは全野党結集の方針を掲げ、公明党も日米安保条約の即時破棄を訴えるなど、史上最も革新寄りの主張で選挙を行う。結果、狂乱物価によって自民党が議席を減らして伯仲国会を実現したものの、選挙後には一転野党間で対立した。翌年にかけて創価学会と共産党との間で相互理解などの交渉が行われ、1975年7月、創共協定が成立する。しかし公明党の支持者(学会員)は元々革新的な共産党のイデオロギーとは相反し、党組織の末端では協定に対する動揺が広がった。党執行部は学会による頭越しの協定締結に反発し、協定の解釈を巡って共産党との批判合戦を繰り広げた。学会も加勢せざるを得ず、あっという間に協定は死文化してしまう。10月の党大会で革新色を打ち消して、共産党とは完全に袂を分かった[16]

1976年、第34回衆議院議員総選挙で自民党が過半数割れとなって以降、自民党からは中道政党に対して秋波が送られるようになる。1978年の党大会において、竹入は自衛隊容認の考えを表明、また政治路線については保守勢力との連携に含みを持たせた。1979年の四十日抗争では自民党主流派の大平正芳から竹入に対して連立の呼びかけがあったという。また11月の首班指名選挙では大平陣営から決選投票前に大平へ首班投票するよう依頼されるが、公明党は決選投票を棄権した。[17]一方で社会党は右派の指導者であった江田の離党と死去で左傾化と弱体化の兆しを見せており、1980年、社公民路線で臨む夏の参院選に向けて社公連合政権構想を締結した。ところがハプニング解散により衆参同日選挙となって連携の前提が崩れた上、解散当初は自民党主流派と反主流派で分裂選挙の様相を見せていた自民党が大平首相の急死で対立を解消。選挙では自民党が圧勝、伯仲国会は終わりを告げる。選挙後、新たな政権構想では政権の特徴として「反自民政権」を削除し、本格的に自公民路線へと舵を切った[18]

自民党接近と連立政権への参加編集

1984年、自民党が二階堂擁立構想で揺れた時には、竹入は鈴木善幸と密に連絡を取り、二階堂が首相になった時には三党で連立を組む構想もあった。擁立は不発に終わったが、竹入は「次の機会には上着を脱ぎ捨ててでも入っていく」と話した。1986年の衆参同日選挙で自民党が圧勝すると竹入にかわって矢野が委員長に就任、一方で社会党は左派の土井たか子が委員長となってますます距離は離れ、公民両党は競って自民党との連携をアピールするようになる[19]

1990年前後、政界ではリクルート事件などの汚職事件が相次いだが、公明党でも関与の疑惑の議員が相次ぎ、1989年5月、矢野が自身のスキャンダルで引責辞任、石田幸四郎が後任となる。7月の第15回参議院議員通常選挙では社会党の一人勝ちで自民党は大敗、公明党も議席を減らした。ねじれ国会となったため野党各党は政権構想を相次いで発表、公明党は「石田見解」で社会党に対して大胆な路線変更を求めた。しかし社会党の「土井構想」は相変わらず安全保障に否定的で、民社党の「永末ビジョン」は社会党の党是を真っ向から否定する事実上の「門前払い」であったため、連合政権構想はまとまらなかった。1990年の第38回衆議院議員総選挙では自民党が安定多数を確保、野党では社会党が独り勝ちとなり、話し合いの空気は消えた。石田は連合政権協議の頓挫について社会党を批判し、自民・社会・中道の三極体制で国会に臨むことを宣言する[20]

当時参議院での過半数を失っていた自民党にとっては、参議院の公明党の議席が政権運営にとって非常に重要であった。自民党の小沢一郎幹事長は社会党と絶縁した公明党に接近し、連立内閣をも暗に持ちかけてきた。小沢のカウンターパートナーである市川雄一書記長は「キャスティングボートを握ったことが、公明党を変えた」と語り、連立ではなく個別の法案の賛否をその都度判断する立場をとる選択をとる。1991年の湾岸戦争に際しては翌92年のPKO法案審議で自公民三党で交渉を続け、成立にこぎ着けた。この過程で市川と小沢の仲はより親密になり、この時点で市川は政界再編、公明党解体にすらも踏み込んだ発言を始めていた[21]

1993年、宮澤内閣の不信任案に小沢らが造反して可決、自民党は分裂する。第39回衆議院議員総選挙で自民党は半数を大きく割り込み、社会党は新党に埋没してやはり大敗を喫す。選挙後、非自民野党による細川内閣が発足、公明党は結党29年にして初めて与党入りし、委員長の石田以下4人が閣僚に就任する。市川は小沢とともに与党間の政策協議を主導したが、その運営手法が荒かったため軋轢が生じ、1年足らずで連立政権は崩壊した[22]

分党と新進党への参加編集

政治改革の過程で衆議院の選出が小選挙区制に移行していたため、反自民連合による新党結成を行う必要があった。党派の中でも公明党は、大量の党職員と地方議員を抱えており、また地方議会の多くでは自民党と連立を組んでいたため、簡単には参加できない事情があった。そこで、改選の近い衆議院議員と1995年改選の参議院議員が先行して新党に加わることとなり、1994年12月5日、先行参加組による暫定的な政党「公明新党」と後発組「公明」に分党、公明新党は10日に解散し、同日結成の新進党に合流した。地方議員は党職員とともに「公明」に残って事実上の公明党の身分で活動し、機関紙も「公明」が発行し続けた[23]

1995年の第17回参議院議員通常選挙で、新進党は自民党に肉薄する戦績を残す。その要因は自民党と社会党が手を結んだことに加え、阪神・淡路大震災オウム真理教事件の対応に不満を持つ無党派層の得票に学会票による票の上積みがプラスされたことであり、総選挙でもこの連携プラス無党派層の取り込めれば政権交代は確実という見方もあった[24]。これに対して危機感を抱いた自民党は、学会・公明党と新進党との離反を図る。参院選後の国会でオウム真理教事件を受けて宗教法人法改正案が審議されたが、審議の過程で自民党は学会の名誉会長である池田の参考人招致を要求する(その後、秋谷栄之助会長の参考人聴取で決着)。この法改正自体はオウム事件の後を受けて輿論の支持は高く、「学会が法改正に反対している」というイメージを除くために、新進党側は法案審議を前にして政務会長の市川らを党の要職から外した。市川らはこれに対して反発して、幹事長の小澤との間に亀裂が生じた。その後も自民党は政教分離に絡めて公明党を揺さぶりつつ、創価学会と近い竹下派が離脱を働きかける[25]

公明党は徐々に新進党から離反し始める。1996年の地方選挙では、学会員が新進党候補を応援せずに自主投票としたり、あるいは自民党の候補をあからさまに応援するなど分裂選挙化した。第40回衆議院議員総選挙では公明党や支持母体創価学会の選挙協力が万全に進まず、創価学会が一部選挙区で人物本位のもと対立候補の自民党や民主党の候補者へ投票するなど票が分裂した、さらに新進党が消費税増税反対を掲げていたにもかかわらず期待していた無党派層の票も集まらず政権交代に失敗、選挙直後から議員の離党が相次ぐようになる。[26]1997年12月、「公明」は合流を見送り、翌年の参院選は完全に独自で戦うことを決定する。直後に新進党は分裂、完全消滅した[27]

公明党はこの分党、新進党合流のことについて言及することはほとんどないが、1999年の党大会にいおいて、出自の違う複数の政党が強引に二大政党をつくったために上手くゆかなかった、と総括している[28]

自公連立政権編集

新進党分裂後、小沢が率いた自由党を除く党派は民主党に結集したが、公明党については創価学会との相性がネックになって合流話は持ち掛けられなかった。新進党の公明党グループは、衆議院議員は新党平和、参議院議員は黎明クラブを結成する(その後、1998年11月7日に「公明党」として完全合流を果たす。代表は神崎武法)。この時期公明党に秋波を送っていたのは自民党で、1998年4月28日、自民党の機関紙『自由新報』にかつて掲載した池田と学会員との内紛についての記事についての謝罪文を掲載した[29]

7月の第18回参議院議員通常選挙で自民党が大敗、ねじれ国会下で再び公明党がキャスティングボードを握った。同年の秋の臨時国会では自民党は法案ごとに各党の協力を得ながら乗り切ったが、公明党は以前自民党と鋭く対立していた手前、いきなり2党のみによる連立には反対であった。そこで、野党の中で孤立しつつあった自由党を交えた三党での連立交渉を行う。1999年1月に自自連立が成立。公明党では内部で反対論がくすぶっていたが、自自両党による衆議院比例区の定数削減議論に参加するため、公明党は7月に連立参加を決定、10月5日に小渕改造内閣が発足する。しかし翌2000年2月に定数削減の法案が成立して以降、小沢は自自両党の合流を巡って小渕と対立、自由党は連立を離脱する。その後、自由党の連立離脱反対派が結成した保守党が2003年に自民党に合流するに至り、自公二党の連立政権(自公連立政権)が誕生するに至った[30]

2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙では比例区の得票数・獲得議員数がみんなの党を下回ったが、2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙では比例区の得票数が全政党中2位に浮上するなど、現在も国会でキャスティング・ボートを握る政党のひとつであるとされる。

略史編集

創価学会第2代会長・戸田城聖が前年の参院選で組織としての選挙投票依頼を受けたことを機に会に「文化部」を設置し、選挙の出馬予定者を部員に任命[31][32]
11月 第3回統一地方選挙に文化部の会員が出馬。
7月 第4回参議院議員通常選挙で3名が当選。
8月 戸田が『大白蓮華』に「王仏冥合論」を執筆し、創価学会の政治進出を理論づける[31]
6月27日 理事長・小泉隆が参議院大阪府選挙区の第3回補欠選挙において、買収行為を行なったとされ大阪府警察逮捕される。また、同年7月4日には渉外部長だった池田が会員に戸別訪問および買収を指示したとの嫌疑で逮捕、起訴された。
6月 第5回参議院議員通常選挙で6人が当選、参議院の総議席数は9議席に。
11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」を発足。
7月 第6回参議院議員通常選挙において9人が当選。参議院の議席数は15議席に。自由民主党、社会党に次ぐ第3党となる。
1963年東京都知事選挙で、自民党が推薦する東龍太郎を支援[31]
11月17日 「公明政治連盟」を改組し、「公明党」を設立。
池田が『政治と宗教』(鳳書院)を出版。「王仏冥合」の理念をベースした政治論を訴える[31]
7月4日 第7回参議院議員通常選挙において11人が当選、参議院の議席数は20議席に。
衆議院選挙直前に、池田が「憲法擁護」「大衆福祉」「安保の段階的解消」などを含む公明党の方針を公表[31]
1月 第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得し、衆議院に初進出。その後の党人事で衆議院議員の竹入義勝矢野絢也がそれぞれ委員長と書記長に就任。党の比重を衆議院に重きを置くようになる。
7月7日 第8回参議院議員通常選挙で12名が当選、3議席増の23議席となるが、支持母体創価学会による集団替え玉投票事件が起き学会員14名が逮捕されるなど社会問題化する。
12月 「言論出版妨害事件」を巡り、「政教一致」に対する社会的批判を受ける。
12月27日 第32回衆議院議員総選挙では47議席を獲得、民社党を抜き、社会党に次ぐ野党第2党に。
5月3日 日本大学講堂における創価学会第33回本部総会において池田が「言論出版妨害事件」について謝罪。「国立戒壇」の教義の撤回、創価学会と公明党の役職の分離などを表明[31]
矢野が社会党書記長の江田三郎、民社党書記長の佐々木良作らと共に、社公民連合政権構想による『新しい日本を作る会』を結成。
6月27日 第9回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は1議席減の22議席に。
第一次訪中団を派遣[31]。日中復交五原則を提案。
6月 竹入を団長とする訪朝団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で、主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたことを取り上げた[33]
3月 竹入が東京都知事美濃部亮吉と会談し、都議会における与党入りに合意[31]
9月 「中道革新連合政権構想」を発表、「日米安保即時廃棄」に路線転換[31]
10月 創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が締結。
民社党との公民連合政権構想に合意。
10月の衆院選において、公明党は57議席を獲得。日本社会党民社党社民連新自由クラブの4党と選挙協力し、自民党を過半数割れに追い込む。
12月 民社党と「中道連合政権構想」で合意[31]
1月 社会党と「連合政権構想」で合意[31]
6月22日 ハプニング解散によって初の衆参同日選挙が実施。選挙期間中に大平正芳総理が逝去、自民党が分裂ムードから融和ムードへと変わったことから参議院においては12人が当選、参議院の議席数は26議席になったが衆議院では票が伸び悩み57議席から33議席へと議席を減らす惨敗を喫した。
8月25日8月9日 竹入を団長とする代表団が大韓民国を初訪問。大統領全斗煥をはじめ政府首脳と会談。
6月22日第13回参議院議員通常選挙において14人が当選。参議院の議席数は27議席に。
12月18日 第37回衆議院議員総選挙では58議席を獲得。
10月 自民党総裁選挙における二階堂進擁立に矢野らが協力[31]
再び衆参同日選挙となる。第14回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は3議席減の24議席に。第38回衆議院議員総選挙でも2議席減の56議席に。
12月 委員長に矢野絢也、書記長に大久保直彦が就任[31]
委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一が就任[31]第15回参議院議員通常選挙では自民党への逆風による批判票が社会党1党のみへ流れた為獲得議席は10議席。参議院全体で3議席減の21議席と議席を減らしたが選挙直後の総理大臣指名選挙では参院での決選投票で公明党は社会党委員長土井たか子を支持し自民党総裁海部俊樹を破る[34]
第39回衆議院議員総選挙では再び自民党への逆風、批判票が社会党1党のみへ流れた為公明党は45議席へと議席を減らす。
4月 「4野党連合政権協議」を凍結[31]
2月 湾岸戦争に対する90億ドルの追加支援に賛成[31]
4月 1991年東京都知事選挙において、自民党と共に磯村尚徳を擁立したが、自民党都連が推した現職の鈴木俊一に敗北[31]
6月 PKO協力法成立に協力[31]
7月 第16回参議院議員通常選挙において一部の選挙区で初めて自民党と選挙協力を行なう。また議席は24議席へ。
8月 細川護熙日本新党党首を首班とした非自民・非共産連立政権である細川連立政権に参画し4人が入閣。
4月 羽田孜副総理を首班とした非自民・非社会・非共産の羽田連立政権に5人が入閣。
6月 総理大臣指名選挙で海部俊樹支持も社会党委員長村山富市に敗北。村山内閣自社さ連立政権)の成立により野党に転落。
12月4日 自民党が参議院特別委員会に池田大作名誉会長の参考人招致を画策、公明党員が委員長室前でピケを行い抵抗。その後、池田の招致は見送られ、創価学会第5代会長の秋谷栄之助参考人として出席。「政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願って公明党の支援をして来た」、「政党が政権を目指すというのは当然のこと」、「政治によって何か利益を得るとか政治の力を借りて布教をするとか、自分達の宗教を国教化しようなどということは毛頭考えていない」などと述べる[35]
12月5日 「公明党」を解散し、政党助成法に基き「公明新党」と「公明」に分党。
12月10日 公明新党が新進党へ合流。
1995年東京都知事選挙石原信雄を与野党相乗りで推薦したが青島幸男に敗北、同日に行われた大阪府知事選挙でも推薦候補が横山ノックに敗北
7月23日 第17回参議院議員通常選挙で新進党として初選挙に臨む。新進党は比例区第1党になり比例区で新進党は18人当選。選挙区でも躍進し自民党の単独過半数を阻止。
1月18日 自民党が運動方針の中に、「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」という内容を盛り込む[36]
5月 旧・公明党系議員らが新進党内に党内グループ「公友会」を設立[37]
12月27日 新進党両院議員総会で分党が決定。
1月4日 新進党から分党して新党平和、黎明クラブ(参議院議員が所属)が発足した。
1月6日 新進党の存続政党・小沢自由党に公明系から8人が参加
1月18日 公明が黎明クラブと合併し、参議院は公明に一本化される。
7月12日 第18回参議院議員通常選挙において9人が当選。議席数は前回と同数の22議席に。直後の総理大臣指名選で菅直人初代民主党代表を支持し参議院では小渕恵三自民党総裁を破る
11月7日 「公明」と「新党平和」が合流し小沢自由党結党参加の議員も加わり「公明党」を再結成
1998年沖縄県知事選挙で自民党推薦の新人稲嶺恵一を推薦し、現職大田昌秀を破る。
1999年東京都知事選挙で自民党が擁立した明石康を小沢自由党都連と共に推薦も石原慎太郎に完敗。
10月5日 自民党と自由党の連立政権に加わり、自自公連立政権(小渕内閣 (第2次改造))が成立。続訓弘が初入閣
4月1日 連立離脱の小沢自由党から保守党が分裂し、自公保連立政権となる。また同日小渕が病に倒れる。
4月5日 森内閣が成立。
6月25日 第42回衆議院議員総選挙で初めて与党側として選挙に臨む。議席は31議席と大きく減らしたが連立政権の過半数は維持
1月6日中央省庁再編で省庁が減少。坂口力厚生労働大臣に就任
4月26日 第1次小泉内閣成立。
7月29日 第19回参議院議員通常選挙では圧倒的な小泉フィーバーの中で議席を1議席増やす。
11月 第43回衆議院議員総選挙で初の「マニフェスト」を発表。議席は34議席となる。
11月19日 保守新党解散に伴い麻生内閣まで自公連立政権となる。
第20回参議院議員通常選挙では11議席を獲得。議席は24議席となる
9月11日 第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では自民党に圧倒的な追い風が吹くも連立を組む公明党へは追い風が吹かず、獲得は自民党の296議席に対し公明党は31議席と逆に議席を減らした。
9月22日 首相就任直前の安倍晋三が池田と極秘裏に東京都内の創価学会の施設で会談し、次回の参院選での公明党や創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したと日経・毎日・朝日・読売の各紙、『週刊文春』が詳細を報じた。
10月11日公明党代表太田昭宏は、安倍と池田との会談について「全く承知していない」と語り、安倍は国会で池田との面会の事実を全面否定した。[38][39]
9月26日 安倍内閣成立。
9月30日 第6回公明党全国大会において、公明党代表太田昭宏無投票当選、幹事長に北側一雄が就任。
2月9日 公費を使って海外を視察した公明党福岡市議団が、大半の文章をウェブサイトから盗作して視察報告書を作成し提出していたことが発覚[40]、公明党福岡市議団は報告書を翌月再提出し公費負担の視察の自粛を表明。
7月29日 第21回参議院議員通常選挙では公明党も自民党批判の逆風の影響を受け票が伸びず選挙区での落選を含め当選は9議席と惨敗。議席は20議席となる[41]
9月26日 福田康夫内閣成立。
1月13日 太田が第44回衆議院議員総選挙にて選挙カーの給油量を水増しして申請し東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたと報じられる[42]、翌日、太田が事実を認め謝罪[43]
9月16日 公明党代表選で太田が無投票で再選[44]
9月24日 麻生内閣成立。
8月30日 第45回衆議院議員総選挙では、民主党による政権交代の風を受けて、代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄など選挙区候補の8人が全員落選、衆議院進出以来最低の21議席の惨敗となった。連立を組む自民党も119議席と大敗。
9月8日 臨時全国代表者会議で山口那津男の新代表就任を決定。新幹事長に井上義久を指名した。
9月16日 民主党中心の民社国連立政権が誕生し、約10年間続いた政権与党から下野。自公連立を解消。
7月11日 第22回参議院議員通常選挙では9人が当選。議席は2議席減の19となり当選人数、比例での得票数も民主党、自民党、みんなの党に次ぐ4番手に後退。しかし山口と谷垣禎一総裁率いる最大野党・自民党との選挙協力が実り連立与党の過半数獲得は阻止。
6月15日 公明党が議員立法として提出した違法ダウンロードへの刑事罰導入を盛り込んだ著作権法改正案(親告罪適用)が可決[45]
6月18日 民主・自民との消費税増税を基本とした三党合意を党として了承[46]
12月16日 第46回衆議院議員総選挙で31議席を獲得。自公政権が復活し、3年3か月ぶりに与党となる。また、同日投開票の2012年東京都知事選挙では推薦候補の猪瀬直樹が圧倒的多数の得票数で当選を果たした。
7月21日 第23回参議院議員通常選挙で11議席を獲得。非改選議席を含めると20議席となった。
2月9日 2014年東京都知事選挙で都本部の推薦候補・舛添要一が当選。
6月24日 憲法解釈変更による集団的自衛権の行使を限定容認。
9月21日 党全国大会で党の執行体制、議決体制を明確化。中央幹事会と常任役員会の役割を立て分け、中央幹事会を常設の議決機関に、常任役員会を最高執行機関にそれぞれ変更した[47]
12月14日 第47回衆議院議員総選挙で35議席を獲得。
4月24日 前期補欠選挙投開票(北海道第5区京都府第3区[48][49]。このうち、北海道5区では自民党の公認候補・和田義明を支援し[50]、無所属で民進・共産らが支援する野党統一候補との接戦の末、約12000票差で当選[51]
7月10日 第24回参議院議員通常選挙において公認候補者を擁立した7つの選挙区(埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡)で全勝。これは、公明党が参院選選挙区で獲得した議席として歴代最多である。また比例では7議席を獲得し、合わせて14議席を獲得した[52]。これにより非改選議席と合計して、25議席となる。
7月31日 2016年東京都知事選挙で自民党や日本のこころを大切にする党と共に増田寛也を推薦したが、増田は小池百合子に大差で敗北した。
10月23日 2016年後期補欠選挙投開票(福岡県第6区東京都第10区[53]。このうち、東京10区補欠選挙で推薦した若狭勝が、民進党公認候補と諸派の候補の2名を破って当選[54]
12月14日 東京都議会の会派・都議会公明党が、1979年から続いてきた自民党会派(東京都議会自由民主党)との連携を見直し、事実上の連立解消を表明[55]
3月13日 - 小池百合子東京都知事率いる地域政党・都民ファーストの会と公明党東京都本部は、7月開催の2017年東京都議会議員選挙に向け、相互に候補を推薦するなど選挙協力を行うことを発表[56]。また、都民ファーストの会と都議会における公明党の会派「都議会公明党」と政策合意を締結したことも併せて発表。
7月2日 - 東京都議選投開票。都民ファーストの会との選挙協力の甲斐もあり、公認候補者全員の23人が当選[57]

組織編集

  • 最高議決機関は党大会で代表を選出し、活動方針、重要政策、綱領及び規約の改正、予算決算など重要案件を決定する。大会が開かれていない間は代表者会議が大会の権限を代行する。国会議員は両院議員総会を作る。党の最高執行機関は中央幹事会で、代表、副代表、幹事長を置く。代表以外の主要役員は代表が指名してから大会の承認を得ることになっており、より下級の役員は上からの指名によるので、規約上は代表の権限が強い。
  • 「言論出版妨害事件」以降、党組織の一定の改革もなされ、中央幹部会を議決機関の中央委員会と執行機関の中央執行委員会への分離と党大会代議員の下部からの選出等が行われた。

党員編集

1970年(昭和45年)以前の創価学会文化部時代は、創価学会員でなおかつ文化部員としての手続きをしなければ参加することができなかった。言論出版妨害事件以後の組織分離により学会員以外にも開放され、現在は党規約4条に「党の綱領及び規約を守り政策および諸決議を実現するために党活動に参加しようとする18歳以上の人は国籍を問わず」[58]党員として入党することが出来ると定めている。

入党の手続きは地元の党所属議員を経由する方法の他、創価学会員であれば支部・地区・区本部といった末端組織を通じて紹介を受けることができるが、学会員だからという理由で強制的に入党させられることはない。入党希望者は既存党員2名の紹介を付けた所定の入党申込書に本人が自筆で記入し、初年度の党費を添えて支部または総支部長に提出する。支部長はこれを都道府県本部に送り、都道府県代表の承認を受けることにより手続きが完了する[59]

年額3,000円の党費支払いの他に、機関紙を購読することが規約7条で推奨されている[1]

なお『公明新聞』、『月刊公明』、『公明グラフ』の配達と集金は聖教新聞販売店に委託されており、聖教新聞と公明新聞の両方を取っている党員には、それぞれ別々の領収証が発行される。

本部編集

党本部は東京都新宿区南元町の公明会館にあり、公明会館に近い別のビルに公明新聞編集局が所在する。

議員団編集

公明党所属の国会議員衆議院参議院両院でそれぞれ、地方議会議員は各議会ごとに議員団を編成する。これら組織の連絡機関として、全国議員団会議[60]および全国地方議員団会議[61]が存在する。

地方組織編集

公明党の地方組織は、ブロックに相当する方面本部(ほうめんほんぶ)[62]、都道府県本部[63]、総支部[64]、支部[65]の4段階からなる。

方面本部編集

方面は創価学会の制度に準じたもので、他の政党にない公明党独自の地域概念である。関東地方は東京方面(東京都および山梨県)、東海道方面(神奈川県静岡県)、関東方面(東京・東海道両方面に属しない関東5県、埼玉県千葉県群馬県栃木県茨城県)の3つに分けられ、福井県関西方面に属し、沖縄県九州の他の県と違って単独で方面を持つなど全部で13の方面本部があり、衆議院比例代表選挙のブロック分けとも異なる。

党所属の国会議員は、出身または活動拠点としている都道府県が属する方面に関与することを義務付けられる[66]

都道府県本部編集

自民党の都道府県支部連合会、民主党の総支部連合会に相当する組織が、この都道府県本部となる。必要に応じて、傘下に選挙区連合会や総支部連合会、支部連合会といった中間組織を設けることもできる。

総支部編集

公明党の総支部は、国会議員の選挙区を基本とする民主党のそれとは異なり、むしろ日本共産党の地区委員会に近いものと位置付けられる。このため東京23区では各区ごとに設置されているが、他の政令指定都市では複数の行政区を統括している場合もある。都道府県・政令市・東京23区の区議会議員は基本的には総支部を拠点とする。

支部編集

党内最末端組織となる支部は、自民党の地域支部、民主党の行政区支部に近いといえる。一般市ないしは町村議会の議員は支部を基本として活動する。

人事編集

  • 2年に一度開催される全国大会で、代議員によって公明党代表が選出されることになっているが、結党以来、委員長・代表などの交代の際に対立候補が出たことはこれまで一度もない[67]。選出された代表が幹事長、代表代行、副代表などを指名。党本部の役員その他の人事については、中央幹事会で決定・承認される。
  • 党の内規では「任期中に66歳を迎えない」ことを選挙における公認条件としており、事実上の定年制を設けている。しかし、幹部を務める議員は例外扱いされることがある。
  • 創設者・池田大作はこれまで、党役員はもとより党員にもなったことはない[68]
  • 北側一雄池坊保子など数名存在するものの、自民党民進党に比べると世襲議員の割合は少ない。

政策編集

憲法編集

  • 池田大作1999年(平成11年)に提言した「首相公選制」を2001年(平成13年)の参議院選挙公約に盛り込むことを内定していたが、内閣法制局が「首相公選制を導入するには、憲法改正を必要とする。」との見解を示したことを受けて見送った[69]
  • 憲法改正論議について、党内には改正論と慎重論の2つがあり、最終的に党がまとめた案は自民党民主党とは違い憲法9条は「加憲」という独自の立場である。なお、新テロ対策特措法再可決に消極的なのは、第二次世界大戦中に創価学会の初代会長牧口常三郎ら幹部が逮捕され、牧口が獄死した過去があるためとされる[70]

安全保障編集

治安編集

外交編集

  • 国内の政党ではいち早く北朝鮮に訪朝団を派遣している。1972年(昭和47年)には当時の国家主席金日成と会談。当時は、北朝鮮の人権弾圧政策『主体思想』を全面的に賛美していた[74]
  • 日韓関係の発展を目指しており、日本韓国と領有権問題で対立している竹島に関しては、軋轢を避けることを重視している。
  • 日中善隣友好協力関係の発展を重視しており、日中関係は最も重要な2国間関係であるとしている[75]
  • 現党首の山口は「新しい中道」を唱え、それはポスト冷戦の「東西陣営と左右の対立が見えにくくなった時代」に「あるべき価値を見据え、一方に偏ったり、切り捨てたりせずに合意を形成していくこと」であるとした[76]

福祉編集

  • 結党以来、福祉に力を入れてきた側面があり「福祉の党」と呼ばれることもある。
  • 1999年(平成11年)、小渕内閣に「地域振興券」の発行を強く迫り実現させる.
  • 2003年(平成15年)、党のマニフェストで、少子高齢化が進んでも現役世代の平均収入の50%以上を保証する「年金100年安心プラン」を発表する。
  • 2005年(平成17年)、自民党とともに、介助や援助を必要としている障害者に対して、福祉サービス利用料として一律1割の負担を求める障害者自立支援法を成立させる。
  • 2010年(平成22年)7月に行われる予定の参院選に向けて発表したマニフェストで、うつ病児童虐待など、日本が抱える新しい福祉問題(「新しい福祉」)の解決に重点的に取り組む姿勢を見せている。また、民間・公共住宅の空家をリフォーム、非正規労働者年金生活者などの住宅困窮者に低家賃で提供する「セーフティネット住宅100万戸供給作戦」の実施を明言している[77]
  • 地方行政においては公明党が与党入りすることも珍しくないため、支援者のために生活保護の受給を行うよう市の職員に要請することも多い。2004年(平成16年)、宮城県多賀城市議会議員根本朝栄が自身の母親の生活保護申請を行うため市職員に圧力をかけたという疑惑が浮かび、多賀城市では該当者の生活保護受給を打ち切り、根本市議や親族に対して受給された生活保護の返還命令を出したという事例が存在する[78]

男女共同参画編集

男女共同参画を強く推進している。内閣府男女共同参画局や各自治体の男女共同参画課の施策に対して、予算を獲得することに主導的な役割を果たしており、政権時には男女共同参画関連予算増額などを求めていた[79]

選択的夫婦別姓編集

夫婦の各個人の姓を同じ姓にするか改姓せずに済むようにするか選択出来るようにする選択的夫婦別姓制度の法制化の推進を行っている[80]。2015年(平成27年)2月には、「党として法改正の検討に着手する」と政調会長の石井啓一が表明した[81]。同年12月には同党の参議院会長の魚住裕一郎が「国会で議論をまきおこしたい。」とも述べている[82]。さらに、代表の山口那津男は、2016年(平成28年)1月に「国会で議論を深め、時代に応じた立法政策を決めていくのが政治の責任だ。」と述べている[83]

一方、連立政権の足並みの乱れを生じさせたくないため、この問題について連立を組む自民党を積極的に説得していない、とも2015年(平成27年)12月に報道されている[82]

皇室編集

皇室典範の改正に積極的であり、2005年(平成17年)に小泉政権が国会で行った「皇室典範改正論議」に党として女系天皇の即位を容認していた[84]

行政編集

税制編集

  • 特別会計の廃止を含めた合理化を提唱[89]
  • 消費税増税に賛成の立場をとるが、弱者への配慮から消費税への「軽減税率」の導入を政策の柱の一つとしている。軽減税率の制度は、2012年(平成24年)6月13日の衆議院の公聴会において、SAPジャパンのコラムニストであった田淵隆明が制度設計を提案して話題となった。公明党は田淵隆明の意見を軽減税率の制度設計に取り入れた[46]
  • 公明党が自民党に執拗に軽減税率の対象に新聞を含めようと主張してきたことについて堀江貴文TOKYO MX5時に夢中!に出演した際、「公明党がなんでそんなに言ってるかっていうと、支持母体の聖教新聞(にかかる消費税)が8%から10%になったら、激減すると思うんですよ、契約が。」と指摘した。司会者が軽減税率は食品が中心ではないかと聞くと、堀江はさらに「新聞が本命なんですよ、絶対にそうだと思う。」と力説した。[90]

教育編集

  • 教育基本法改正において、「愛国心」という言葉を盛り込むことに反対した。自民党案の「郷土と国を愛し」という文言に対し「戦前国粋主義を連想させる」と反対し、「郷土と国を大切にし」との表現を盛り込ませた。

選挙編集

  • 自公選挙協力の中、自民党候補者の後援会名簿が創価学会側に渡ったという事実が明るみとなり、自民党選挙対策関係者や支持者はショックを受けたという[91]
  • 支持母体創価学会の会員による電話投票依頼(通称:F取り)や創価学会の会館を使用した政治活動は公職選挙法に抵触するのではないかと国会で議論されたこともあるが、結論は出ていない。なお、電話投票依頼にかかる通話料金や、候補者の選挙区へ出向き選挙運動をした際に発生した費用はすべて学会員の自己負担である(通常選挙運動で発生した料金は候補者や政党が負担している)。
  • 池田大作が早くから「日本における外国人参政権」を認めるべきだと主張してきており[92]、創価学会を支持母体とする公明党も積極的に推進している。

経済編集

論議のある問題編集

創価学会との関係、政教分離問題編集

公明党の草創期はあくまで創価学会の所轄内にあったことや創価学会と一体となった活動がおこなわれた経緯から、憲法に定めた「政教分離原則」に反し“公明党と創価学会は政教一致”という批判がマスコミや有権者からあがった。1970年(昭和45年)言論出版妨害事件に端を発した公明党と創価学会との政教一致批判に対し制度的分離を明確化して以降(詳細は下記参照)も同様の批判はある。一方で日本国憲法の定める「政教分離」とは、国家の宗教的中立性を定めたもので、宗教団体の政治活動を否定したものではない、ということには留意を要する[94]

  • 政教分離を明言した1970年(昭和45年)5月3日の池田の講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく。」、「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない。」、「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援』をする。」ことなどの方針を明らかにした。同年の党大会では政教一致を意味すると見られてきた「王仏冥合」という言葉を党綱領から削除した。しかし、創価学会員による選挙違反の摘発、逮捕がたびたび発覚していることから批判者の間では上記条項が守られていないのではという批判がある。
  • 1993年(平成5年)、細川内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと池田が発言したことで、池田が細川内閣の人事に影響力を及ぼしているのではと国会で問題となる[95]。当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない。」という旨の説明をした[35]
  • 公明党の元委員長の竹入義勝1998年(平成10年)9月、『朝日新聞』に連載した回顧録、『秘話・55年体制のはざまで』において、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。」、「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた。」、「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。」などと述べた。この連載の直後、機関紙「公明新聞」で『竹入義勝の謀略と欺瞞』と題する連載で反論と竹入批判を始めた。
  • 羽田内閣総務庁長官を務めていた公明党委員長の石田幸四郎は国会で、公明党の最高人事は池田の意向、指示で決まるのかとの質問に「公明党の人事は公明党でやっており、池田からの指示はない。」「人事、政策というのは党大会を通して決める。」と答弁した[96]
  • 内閣法制局は「政教分離原則は宗教団体が政治的活動をすることを規制しているものではない。」旨の答弁をしている[97]
  • 選挙期間になると、創価学会信者が組織的に選挙活動に動員され、創価学会の関連施設が活用されることに対し、国会で幾度か問題視されたことがある[98]
  • 2007年(平成19年)10月16日の参議院予算委員会で、民主党の石井一議員が公明党と創価学会が表裏一体ではないかと指摘、石井議員の発言では元公明党所属の議員から得た情報として国政選挙で公明党議員が当選した場合、衆議院議院は300万円、参議院議員は600万円の献金がなされると発言、その献金がどこへ入ったかは不明になっているとも指摘。公明党議員等からの創価学会への献金(P献金)や公明党の歴代の代表が結党以来40年以上にわたり投票が行われず毎回無投票で決まっていたことについても言及。また創価学会の関連施設で法敵菅直人が来たなどという政治的活動が行われていたとも指摘。証拠となる録音テープを予算委員長に提出した。代表で答弁した山口那津男議員は質問に抗議、冬柴大臣も「P献金」「創価学会関連施設での政治的活動」をともに否定した[99]
  • 2014年(平成26年)6月、内閣官房参与飯島勲内閣官房参与は、公明党と同党の支持母体である創価学会の関係が憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解について、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、(公明党と創価学会は)『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と述べ、従来の政府見解が変更される可能性に言及した[100]

創価学会員による選挙不正編集

支持母体創価学会の会員によって選挙の際、法律に抵触する問題行動が行われ、創価学会はたびたび逮捕者を出しており、国民やマスコミから批判を受けている。中には創価学会や公明党の幹部、名誉会長池田大作の指示があったのではないかと疑われたものもある。一部を抜粋する。

大阪事件編集

1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコ現金を渡したとして幹部だった小泉隆、池田大作を含む創価学会員ら47人が公職選挙法違反で逮捕され池田は無罪となったが45人に有罪判決が下された。有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。

新宿替え玉事件編集

1968年(昭和43年)に行われた参議院議員選挙で不在者投票を悪用し本人になりすまし投票を行ったとされる選挙違反事件。創価学会員14人が逮捕され、14人全員に有罪判決が下された

投票所襲撃事件編集

1969年(昭和44年)7月に行われた東京都議会議員選挙において、投票時間が過ぎたため投票不可を選挙管理委員会から通達された党支持者が逆上、大勢が投票所を取り囲んで襲撃。女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。後に1名が逮捕・起訴された。この事件の首謀者として後の公明党書記長市川雄一の名が一部で挙がっている。また、1970年(昭和45年)5月、国会で公職選挙法改正に関する調査特別委員会が行われ共産党の青柳盛雄が質問に立ち、この事件について内閣に意見を求めている[101]詳細は「練馬区投票所襲撃事件」参照。

住民票異動疑惑編集

創価学会員が組織的に選挙前に住民票を異動し公明党候補へ投票しているといううわさ。このうわさのはじまりは、1963年(昭和38年)の統一地方選に関わる社会党の島上善五郎による「創価学会が集団的に移動をして」との国会質問であるが、島上はのちに「集団移動の事実は、つかんでいなかった」と誤りを認めて発言を撤回している。また、1967年(昭和42年)の衆議院選挙に関わって、自治大臣であった赤沢正道が夕刊紙に「住民票異動云々」の発言をしたが、これも「根拠は何もない。恐縮している。」と撤回し謝罪している。また、1981年(昭和56年)に行われた沖縄県那覇市市議会選挙では那覇市の選挙権を持った市民が那覇市に在住しておらず居住実態がなかったことから調査が開始された。調査により浦添市民の11名が選挙前になると那覇市と浦添市の間で住民票の異動を繰り返していたが、実際那覇市には一度も居住していなかったとして、那覇市の選挙管理委員会は対象の11名を選挙人名簿から削除した[102]沖縄タイムス琉球新報は紙面で創価学会の行動として厳しく非難した[103][104]が、のちの調査で、11人のうち10人が保守系候補の支持者、1人が仕事上の都合での異動であることが分かった[105]

高齢者や認知症患者などへの投票干渉編集

高齢者認知症患者などに公明党や友党の自民党候補者氏名を書いたメモなどを渡していたとして逮捕、書類送検をされたケースがある。

2001年(平成13年)参議院選挙編集

2001年(平成13年)の参議院選挙で逮捕者が出て、地方新聞に掲載された[106]佐賀新聞が報じたケースでは、逮捕された学会員が不在者投票所の入り口で『公明党の候補者名を書くように言ってある。メモを持たせてある』などと佐賀市選挙管理委員会職員に直接話したのを佐賀警察署の署員が聞いていた事も明らかになっている。また埼玉新聞は羽生市の介護福祉士が自身の勤める老人介護施設の利用者に公明党の埼玉選挙区と比例代表の特定候補者2人の名前を記したメモを持たせて投票させ、投票に干渉した疑いで逮捕されたことを報じた[107]。ただし、同容疑で自民党民主党の支援者も同様の行為を行い逮捕者も出ている[108]

2003年(平成15年)衆議院総選挙編集

2003年(平成15年)に実施された衆議院選挙において神奈川県内に住む創価学会の女性幹部3名が重度の知的障害をもつ女性とともに投票所に現れ、あたかも知的障害をもつ女性が公明党に投票意思があるように見せかけ投票しようとしたとして公職選挙法違反で逮捕された。[109][110]

2010年(平成22年)参議院選挙編集

2010年(平成22年)の参議院選挙で宮崎県で検挙されたケースにおいては、知人の複数の高齢者の手の平に「選挙区の自民候補と比例代表の公明候補の名前をペンで書き投票を誘導した疑いが持たれている[111]

2012年(平成24年)衆議院総選挙編集

2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では、愛媛県で「比例代表は公明党、選挙区は塩崎恭久氏(愛媛1区、自民党)」というメモを判断能力に欠けた高齢女性(認知症患者)に持たせて投票させた容疑 [112]で検挙者が出た。

しかしながら、このように表面化したケースは氷山の一角であると考えられている。信者が投票を指示したという具体的な物的証拠が少なく、判断能力の低下した認知症などに罹患した高齢者が標的にされているケースも多く、犯行の証言を得ることが難しいからである。投票所の監視を強化してもイタチごっこであると、警察など捜査関係者は頭を悩ませている[113]

電話による投票依頼編集

公明党は以前から支持母体創価学会の会員が中心となり友人、知人に対し公明党への電話による投票依頼を行なっており、選挙前の風物詩とさえ言われたが[114]近年ではインターネットの普及により電話での投票依頼はあたかも学会員が選挙違反をしている印象を与えかねず、(電話で投票依頼した行為を)面白おかしくネット上に書き込まれることを危惧する学会幹部がいるため、最近では学会員に選挙期間中の家庭訪問や電話での投票依頼を控えさせているという。最近では通信費用がかからないLINEで「投票に行く」事実のみを伝えるよう指示を出す幹部もいる。それは投票依頼をLINEで行った場合、学会を嫌う層からメッセージをスクリーンショットで保存されネット上に拡散される恐れがある。しかし、学会婦人部からはソフト路線とも取れる学会の変化に不満の声が出ているという。[115]

生活保護不正受給の口利き問題編集

生活保護の受給に関し公明党の市議やが口利きを行っていた事実がある。その中では不正受給も認定されている。例として1999年(平成11年)5月から2003年(平成15年)6月にかけて公明党市議の母親が生活実態がないにもかかわらず、生活保護を申請し生活保護費を不正に受給していた。本件では申請を行う際、公明党市議が自ら市職員に口利きを行ったことが確認され、受給後市の担当者が、公明党市議の母親の1年問の水道や電気の使用量を調べた結果、一般的な一人暮らしの数か月分しかなかったため不正受給とみなし多賀城市議会は、公明党市議や親族に対して生活保護を打ち切った上で、市議会において返還請求訴訟を起こすことを賛成多数で可決した[116]。全議員22名のうち反対は公明党議員2名だけだった[78]。また週刊ポストの調査では公明党市議の母親は以前居住していた塩竈市でも同様の手口で生活保護費を受給していた事が確認されたが受給された生活保護費がどのように使われたかは全く不明としている。最後に決議に反対した公明党議員へ(党籍が同じというだけで)は返還請求訴訟に反対するのであれば公明党は党全体で生活保護の不正受給を容認していると締めくくられている[78]

韓国大統領選挙介入疑惑編集

朝鮮日報社は『月刊朝鮮』において、1997年(平成9年)に行われた韓国大統領選挙前に候補者の新政治国民会議金大中候補が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、(日本の公明党の影響下にある)韓国創価学会から支持を得られるように依頼、友人を通じて公明党幹部が了承したとされる事実があることを明かしている[117]。選挙は金候補がハンナラ党の李会昌候補に約30万票の僅差で勝利したが、当時の韓国創価学会の有権者は60 - 80万人程であり創価学会の応援要請が事実なら韓国大統領が日本の公明党の協力で誕生したことになると月刊朝鮮は締めくくっている。

66歳定年制編集

公明党は独自に66歳定年制度を導入、任期中に66歳を超える場合は党として公認しないというスタンスを取っている。公明党が例外を認めているのはほぼ男性の国会議員のみであり公明党の女性国会議員は、池坊保子を除き[118]制度を順守し引退している。

公認料編集

通常政党から公認を得て立候補をする場合、党から候補者へ公認料として活動費が支給されるが[119][120]。 公明党の場合、立候補者が公明党に公認料を収めているという。これは2007年10月16日参議院予算委員会で当時大臣であった冬柴鉄三が民主党石井一の質問に対し「立候補者は(公明)党に公認料として2カ月分の議員報酬を収めている。」と発言したことによるが[121]実際、公職選挙法は公認料についての記載はなく、公認料を政党から候補者へ渡しても、逆に候補者が政党へ収めても、法律上問題はない。公明党以外では希望の党でも立候補予定者へ数百万円の公認料を請求していることが明らかとなった[122]

マニフェストと実際の行動編集

役人の天下りへの対処編集

公明党は以前からマニフェスト斡旋わたりを年内に廃止し、早期退職慣行の廃止など天下りを3年で根絶し行政の無駄追放を行う要旨を発表したが[123]2007年に行政改革担当大臣渡辺喜美から、独立行政法人の改革をめぐり、所管法人の廃止・民営化などで協力を求められたが、当時、国土交通大臣だった公明党の冬柴は渡辺に対し法人組織の民営化を拒否するなど「ゼロ回答」を行った[124]。 マニフェストと違う回答に身内の公明党や支持母体創価学会から激しい批判が寄せられ衆議院予算委員会で同じ公明党の富田茂之が冬柴に「官僚の天下りに対して追及する民主党議員の行動は正しい」などと指摘、冬柴も支持者から抗議の手紙が届いたことを答弁した[125]。その後も公明党は選挙のマニフェストで天下りの根絶を謳い、2017年2月6日の衆議院予算委員会で公明党の高木美智代が天下りの根絶を訴えたが、2017年の衆議院総選挙で公明党はそれまでの方針を転換、今まで行ってきた「天下りの根絶」をマニフェストから削除した[126]

国の借金が1998年(平成10年)は約408兆円だったのに対し、2008年(平成20年)には約607兆円と約1.5倍に膨れ上がった[127]。その一方で、財源を確保するため、2003年には健康保険の本人負担増(2割→3割)を実施させ[128]、さらにはホワイトカラーエグゼンプションの支持[129]を表明した。

池田大作に対する配慮編集

『週刊実話』によれば、公明党内では、創価学会名誉会長池田大作日本国内の勲章をひとつも授与されていないことから、公明党所属の国会議員(党首経験者や閣僚経験者含む)は旭日大綬章など勲章の受賞リストに名前が挙がった段階で、池田に配慮し自ら受賞を辞退するという慣習が存在していたという[130]。 ただし、公明党・創価学会と対立した場合は別で、委員長経験者である竹入義勝(1996年(平成8年)・旭日大綬章)や矢野絢也(2010年(平成22年)・旭日大綬章)は受章している。週刊実話の記事では、この受賞に対し支持母体創価学会では「恩知らず」「裏切り者」という罵詈雑言が起こっていると掲載された。

1995年(平成7年)11月27日の参議院「宗教法人等に関する特別委員会」で、自民党の関根則之は、当時の創価学会事務総長原田稔(現:会長)が外務省官房長の小和田恒皇太子徳仁親王妃雅子の父)に宛てて「本年1月末より2月中旬にかけて、池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育文化交流のため、香港並びにASEAN3ヶ国(タイマレーシアシンガポール)を約2週間にわたり、(下記の日程で)訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます。」といった内容の手紙を送り、外務省が創価学会や池田に配慮や便宜を図ったのではないかと発言した。池田大作および長男の池田博正の証人喚問を要求し、審議されたが、外務省、宮内庁、創価学会ともに根拠のないとして否定した上、池田の証人喚問は見送られた。

批判本の掲載について編集

2000年(平成12年)夏、東京都内の公明党所属の区議会議員が区議会において、公明党と創価学会の批判を載せている雑誌の排除を要求していたことが明らかになり問題となる。大田区議会では2000年(平成12年)3月13日、田口仁議員が「週刊誌は人のことを中傷している。」、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい。」として「『週刊新潮』、『週刊文春』、『文藝春秋』を大田区の全図書館から排除してもらいたい。」と要求した[131]中央区では、同年3月の区議会で、区立図書館に公明党と創価学会を批判した本が多数あることに言及し、図書の選定を問題にし、「図書館の職員の適切な人事異動をしていただきたい。」と要求した。3年前の1997年(平成9年)3月7日にも別の公明党の区議が区議会で「図書館、区の施設、待合室、ロビーなどに置いてある暴力的、人権侵害週刊誌はき然として排斥するべきだ。」と求め、中央区は出版社系雑誌の購入を止め、雑誌コーナーを廃止していた[132][133][134]

政党交付金編集

  • 2009年(平成21年) - 26億1871万円
  • 2010年(平成22年) - 23億8900万円
  • 2011年(平成23年) - 22億7534万円
  • 2012年(平成24年) - 22億7916万円

支持母体編集

カテゴリー 団体
宗教団体

エピソード編集

  • 警察庁長官で、その後政界入りした後藤田正晴は晩年に出版した回顧録で、警察官僚時代を振り返り、社会党民社党警察庁のマークの対象外だったとし「社会党ほどダラ幹(堕落した幹部)の党はない。民社党は記憶にない。あれは何をしておったのだろう。危ないと思うのは、共産党と公明党だ。この国への忠誠心がない政党は危ない。共産党は前から徹底的にマークしているからいいが、公明党はちょっと危ない。」と述べている[138]

党役員編集

常任役員会代表(党代表) 編集

中央幹事会編集

常任役員会編集

代表 山口那津男
副代表 北側一雄
古屋範子
幹事長 井上義久
中央幹事会会長 漆原良夫
政務調査会長 石田祝稔
参議院議員会長 魚住裕一郎
参議院幹事長 西田実仁
選挙対策委員長 斉藤鉄夫
国会対策委員長 大口善徳
機関紙委員長 新井秀男
総務委員長 佐近康昌

全国議員団会議編集

議長 太田昭宏

常任顧問・顧問編集

常任顧問 神崎武法
顧問 草川昭三
白浜一良
特別顧問 市川雄一
坂口力

閣僚経験者編集

党勢の推移編集

衆議院編集

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 0/- 467
第31回総選挙 ○25/32 486
第32回総選挙 ○47/76 486
第33回総選挙 ●29/59 491
第34回総選挙 ○55/84 511 追加公認+1
第35回総選挙 ○57/64 511 追加公認+1
第36回総選挙 ●33/64 511 追加公認+1
第37回総選挙 ○58/59 511 追加公認+1
第38回総選挙 ●56/61 512 追加公認+1
第39回総選挙 ●45/58 512 追加公認+1
第40回総選挙 ○51/54 511 追加公認+1
第41回総選挙 ●42/51 500 新進党での選挙
第42回総選挙 ●31/74 480
第43回総選挙 ○34/55 480
第44回総選挙 ●31/52 480
第45回総選挙 ●21/51 480
第46回総選挙 ○31/54 480
第47回総選挙 ○35/51 475

参議院編集

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
第4回通常選挙 ○3/6 - 250
第5回通常選挙 ○6/6 3 250
第6回通常選挙 ○9/9 6 250
(結党時) 15/- - 250 公明党改称時
第7回通常選挙 ○11/14 9 250
第8回通常選挙 ○13/14 11 250
第9回通常選挙 ●10/10 13 252
第10回通常選挙 ○14/45 10 252
第11回通常選挙 ○14/15 11 252
第12回通常選挙 ○12/14 14 252 追加公認+1
第13回通常選挙 ○14/23 13 252
第14回通常選挙 ●10/21 14 252 追加公認+1
第15回通常選挙 ●10/22 11 252
第16回通常選挙 ○14/23 10 252
第17回通常選挙 ○13/0 11 252 新進党57と統一会派で同改選期を議席維持)
第18回通常選挙 ●9/20 13 252 公明、追加公認+2
第19回通常選挙 ○13/22 10 247 改革クラブ1と統一会派)
第20回通常選挙 ○11/20 13 242
第21回通常選挙 ●9/24 11 242 (後に繰り上げ当選により+1)
第22回通常選挙 ●9/24 11 242
第23回通常選挙 ○11/21 9 242
第24回通常選挙 ○14/24 11 242

(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2

  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
  • 第4回、5回参議院通常選挙は、結党前で創価学会組織内無所属の実績。
  • 第6回参議院通常選挙は、「公明政治連盟」の実績。
  • 第17回、18回参議院通常選挙は、「公明」の実績。
  • 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、2003年(平成15年)まで)1 各会派所属議員数及び役員一覧(衆議院、2005年(平成17年))、(2) 参議院(2002年(平成14年)まで)(2) 参議院(2004年(平成16年)まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。

所属国会議員編集

地方政治編集

政党収入額編集

  • 2010年(平成22年) - 212億6,127万円

脚注編集

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  2. ^ “平成27年分政治資金収支報告書の要旨(平成28年11月25日付け官報)” (プレスリリース), 総務省, (2016年11月25日), http://www.soumu.go.jp/main_content/000455745.pdf 
  3. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『公明党』 - コトバンク
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  23. ^ 薬師寺, pp. 136-141.
  24. ^ 一部では民主党が誕生したことで無党派層の反自民票分散を危惧する声もあった
  25. ^ 薬師寺, pp. 141-143,152-163.
  26. ^ 自民党加藤紘一幹事長の説得に応じて自民党入りした新進党議員もいた
  27. ^ 薬師寺, pp. 143-145.
  28. ^ 薬師寺, pp. 184-185.
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  30. ^ 薬師寺, pp. 172-180.
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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集