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山縣 有信(やまがた ありのぶ、1918年大正7年)8月15日[1] - 1974年昭和49年)7月22日[2])は、日本政治家栃木県矢板市長を務めた。

経歴編集

明治元勲山縣有朋の曾孫(山縣有道の長男[3])として東京府で生まれる[4]学習院高等科を経て[4]九州帝国大学法文科を卒業[1][4]。卒業後の1942年日本興業銀行に入るが、同年、第1期海軍兵科予備学生として海軍に入った[1][4]。父の死去に伴い、1945年11月1日に公爵を襲爵する[3][5]1946年復員し[1][4]、日本興業銀行に復職する[4]。翌年、同行を退職し、栃木県矢板町の山縣農場の経営に取り組む[1][4]

1963年、矢板市長選挙に立候補し、初当選[1][4]、以来連続3期務める。市長時代は上水道の供給、市民体育館の落成、消防署の完成、市民プールの開設、市内の小中学校の改築や増築、プールの設置、運動場の起工など教育や市民生活の向上に力を入れた[1][4]。しかし、3期途中の1974年、脳出血のため死去した[4]

親族編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g 『日本の歴代市長 第一巻』622頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1284頁。
  3. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻、777頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『栃木県歴史人物事典』610頁。
  5. ^ 『官報』第5645号、昭和20年11月5日。

参考文献編集

  • 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会 、1983年。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年〜平成23年 1(政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
日本の爵位
先代:
山縣有道
公爵
山縣(有朋)家第4代
1945年 - 1947年
次代:
華族制度廃止
公職
先代:
高柳宰正
矢板市長
第3代:1963年 - 1974年
次代:
大谷英一