岡田山古墳(おかだやまこふん)は、島根県松江市大草町の台地上にある古墳群。国の史跡に指定[1]されている。

概要編集

北側の一号墳と南側の二号墳および5基の小規模な古墳からなる。一号墳は長さ約24メートルの前方後方墳1915年(大正4年)に発掘された。内部構造は全長5.6メートル・高さ2.2メートルの片袖形横穴式石室に凝灰岩による組合式(くみあわせしき)の家形石棺を置く。「長宜子孫」の銘を有する内行花文鏡・環頭大刀・円頭大刀・圭頭大刀・銀環・金銅丸玉・轡・鞍金具・雲珠・辻金具・鈴・須恵器などが出土した。特に円頭大刀は1983年(昭和58年)になってX線撮影の結果、刀身に「各田卩臣」(額田部臣)の銀象嵌銘があることが確認された(岡田山一号墳出土大刀)。また、後漢期の中国製とみられる内行花文鏡には「長冝子孫」の銘文が見える。一号墳出土品は1985年(昭和60年)に一括して重要文化財に指定[2]されている。二号墳は直径43メートル・高さ6.5メートルの円墳。墳丘中腹に貼石列が確認でき、埴輪とみられる小片が確認されているが、発掘調査は行われていない。

鉄刀銘文編集

1915年に発掘された一号墳出土品の1つであった円頭大刀はその後、刀身の先端部分が破損し、1983年になって元興寺文化財研究所が保存処理を行うことになった。その際にX線をあてたところ、銀象嵌の銘文が見出された。現在確認される部分は12文字だけであり、「各田卩臣」(額田部臣)の他数文字が確認できるだけで、他は解読不能もしくは困難で文章の全容を解読するには至っていない。また、破損部分にも文字が記載されていた可能性もある。額田部臣は『出雲国風土記』にも登場する豪族で、の記載としては隅田八幡神社人物画像鏡の次に古く、部姓の記載された事物としては日本最古にあたる。

銘文は以下の通り、

  • 各田卩臣□□□□□大利□
  • 解読不能もしくは困難になっている□については、9文字目は「素」とみられる。5文字目は「令」説と「今」説、6文字目は「阿」説と「河」説がある[3]

文化財編集

国の史跡編集

  • 岡田山古墳

重要文化財編集

  • 出雲岡田山古墳出土品 1985年指定、六所神社所有[4][5]
    • 一、銀錯銘銀装円頭大刀 「額田部臣」在銘 1口
    • 一、金銀装環頭大刀 1口
    • 一、金銀装円頭大刀 1口
    • 一、内行花文鏡 1面
    • 一、金環 2箇
    • 一、金銅空玉(うつろだま) 残欠共 16箇
    • 一、馬具類
      • 金銅鞍金具残欠 1背分
      • 金銅雲珠(うず) 16箇
      • 金銅鏡板 1具
      • 銅鈴 残欠共 7箇
      • 鉄環 2箇
    • 一、刀子等残欠 3箇
    • 一、須恵器 2箇

参考画像編集

脚注編集

  1. ^ 岡田山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ 出雲岡田山古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 「岡田山一号墳出土大刀」『国史大辞典』16巻。
  4. ^ 出雲岡田山古墳出土品”. 松江市. 2019年8月23日閲覧。
  5. ^ 国指定文化財一覧(考古資料)”. 島根県. 2019年8月23日閲覧。

参考文献編集

  • 山本清「岡田山古墳」(『国史大辞典 2』(吉川弘文館、1980年) ISBN 978-4-642-00502-9
  • 門脇俊彦「岡田山古墳群」/松本岩雄「岡田山古墳出土品」(『島根県大百科事典』(山陰中央新報社、1982年))
  • 岸俊男「岡田山古墳」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年) ISBN 978-4-582-13101-7
  • 鬼頭清明「岡田山一号墳出土大刀」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9
  • 狩野久「岡田山一号墳」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年) ISBN 978-4-095-23001-6

関連項目編集

座標: 北緯35度25分40.2秒 東経133度5分28.0秒 / 北緯35.427833度 東経133.091111度 / 35.427833; 133.091111