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崇福寺(そうふくじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は神護山。織田信長有栖川宮家ゆかりの寺院である。

崇福寺
崇福寺 (岐阜市)Soufukuji001.jpg
山門
所在地 岐阜県岐阜市長良福光2403-1
位置 北緯35度26分36.41秒
東経136度46分2.67秒
山号 神護山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 延命地蔵菩薩聖観音
創建年 1.伝・鎌倉時代
2.伝・1469年文明元年)
開基 2.伝・土岐成頼斎藤長弘
中興年 伝・1511年永正8年)
中興 伝・斉藤利匡
札所等 美濃三十三観音15番
文化財 織田信長・信忠廟所(市重要文化財)
法人番号 4200005000624 ウィキデータを編集
崇福寺 (岐阜市)の位置(岐阜県内)
崇福寺 (岐阜市)
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本尊延命地蔵菩薩聖観音

美濃三十三観音霊場第十五札所。

沿革編集

 
崇福寺 (岐阜市)-境内

伝承によれば、鎌倉時代に創建。荒廃していたのを1511年永正8年)に斉藤利匡の手で移転整備。1517年永正14年)に改称したという。

別の説としては、1469年文明元年)に、土岐成頼斎藤長弘が建立し、1493年明応2年)に開山したという。

1567年永禄10年)、織田信長が岐阜に入ると、崇福寺は織田家菩提寺となる。1582年天正10年)、本能寺の変により織田信長と織田信忠が亡くなると、二人の遺品は側室のお鍋の手で岐阜城から崇福寺に持ち込まれ、織田信長・信忠廟所に埋められたという。

1600年慶長5年)、織田秀信石田三成の挙兵に呼応し、関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城に立てこもるが、福島正則池田輝政らに攻められて落城する。岐阜城が廃城後、崇福寺は岐阜城天守の床板を譲り受け、この戦いで戦死した38名の武将を弔う為に本堂の天井板に使用したという言い伝えがある。

江戸時代には朱印地となり保護を受け繁栄する。また、有栖川宮の祈願所となる。春日局と関係があることから、徳川家光は特に保護をしていたという。

文化財編集

岐阜市重要文化財編集

岐阜市史跡編集

  • 織田信長・信忠廟所

その他編集

  • 織田信長の書状、肖像画、櫓時計清洲城の鯱といった織田信長ゆかりの品や、徳川家光、有栖川宮ゆかりの品を多数保有する。

所在地編集

  • 岐阜県岐阜市長良福光2403-1

交通アクセス編集

岐阜バス長良川国際会議場北口」バス停が最寄りである。徒歩2分。

  • 10番のりば発 三田洞線 (K50)長良八代公園行き・(K51)三田洞団地行き・(K55)彦坂真生寺行き
  • 11番のりば発 市内ループ線左回り
  • 11番のりば発 市内ループ線右回り(やや遠回り)
  • 8番のりば発 忠節長良線 (C31)おぶさ行き(やや遠回りで本数も少ない)
  • Cのりば発 三田洞線 (K50)長良八代公園行き・(K51)三田洞団地行き・(K55)彦坂真生寺行き
  • 4番のりば発 市内ループ線左回り

その他編集

  • 恵林寺の僧で、「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世で知られる快川紹喜は、崇福寺の三世住職になる。

外部リンク編集


参考画像編集