崔 淳周(チェ・スンジュ、朝鮮語: 최순주1902年10月17日[1]または1904年高宗41年)[2] - 1956年6月11日)は、大韓民国政治家。第2代財務部長官、第3代国会議員、第3代国会副議長[1][2]本貫全州崔氏[3]

1954年11月29日、改憲案の可決を宣言したことにより李哲承議員から抗議される崔淳周(右)

経歴 編集

忠清北道永同郡出身。中東学校延禧専門学校商科、ニューヨーク大学商学部卒。延禧専門学校で教授を務め、朝鮮銀行総裁などを歴任した。1950年4月25日から1951年3月5日まで第2代財務部長官を務めた。その後は自由党忠清北道党委員長、中央党産業部長を務めた。韓国貿易協会長を務めたほか、1954年の第3代総選挙で当選した後、第3代国会においては国会副議長、国連総会韓国代表を務めた[1]。1956年に議員在任中に腎病の治療のためサンフランシスコを訪れたが、現地に滞在中に55歳で死去した[2][4]

その他 編集

  • 1954年11月29日、いわゆる四捨五入改憲において、改憲案の可決を宣言した[2]。この際、当時国会議員であった李哲承から抗議を受けた。

脚注 編集

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 최순주(崔淳周)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年6月24日閲覧。
  3. ^ (20)전주 최씨(全州崔氏)-392,548명” (朝鮮語). 금융소비자뉴스 (2014年7月21日). 2023年6月22日閲覧。
  4. ^ 崔淳周氏別世(최순주씨별세)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1956年6月14日). 2023年6月22日閲覧。