平 季(へい き、生年不詳 - 534年)は、北魏宦官は稚穆。本貫燕国薊県

経歴編集

平雅の子として生まれた。父が沙門法秀の乱に参加して処刑されると、平季は連座して腐刑を受け、宦官として宮中に入れられた。諸官を歴任して小黄門となったが、命令に逆らった咎で潞県令に左遷された。しかし赴任せず、そのまま奉朝請に任じられた。

525年孝昌元年)、霊太后が政権に返り咲くと、平季は寧朔将軍・長水校尉に任じられ、黄門令を兼ねた。前軍将軍・中給事中に転じた。ときに北魏の地方部では事件が続発していたため、平季は霊太后の命を受けて、各地に使者として立った。後に新興郡太守として出向した。

528年武泰元年)、孝明帝が死去すると、孝荘帝を立てるよう爾朱栄らとともに提議をおこなった。孝荘帝が即位すると、平北将軍・肆州刺史に任じられた。まもなく撫軍将軍・中侍中に転じた。爾朱氏の政権に協力して、元城県開国侯に封じられた。金紫光禄大夫・幽州大中正の任を加えられ、さらに燕州安州平州営州の中正を兼ねた。普泰年間、前廃帝により車騎将軍・右光禄大夫の位を受けた。永熙年間、驃騎将軍の号を加えられた。534年(永熙3年)9月、病のため死去した。同年(天平元年)、使持節・都督幽燕安平四州諸軍事・儀同三司・幽州刺史の位を追贈された。

伝記資料編集