平戸市立大川原小学校(ひらどしりつ おおかわらしょうがっこう、Hirado City Okawara Elementary School)は、長崎県平戸市赤松町にあった公立小学校

平戸市立大川原小学校
地図北緯33度15分54.1秒 東経129度29分01.4秒 / 北緯33.265028度 東経129.483722度 / 33.265028; 129.483722座標: 北緯33度15分54.1秒 東経129度29分01.4秒 / 北緯33.265028度 東経129.483722度 / 33.265028; 129.483722
国公私立の別 公立学校
設置者 平戸市
併合学校 平戸市立紐差小学校大川原分校
平戸市立紐差小学校木ヶ津分校
設立年月日 【統合・独立】
1958年(昭和33年)4月1日
閉校年月日 2011年平成23年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 859-5384
長崎県平戸市赤松町23番地
外部リンク 公式サイト
Wayback Machine
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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2011年平成23年)3月末をもって閉校し、平戸市立紐差小学校に統合された。

概要

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歴史
平戸市立紐差小学校の分校であった2校(大川原分校・木ヶ津分校)が1958年昭和33年)に統合の上、「平戸市立大川原小学校」として独立。少子化により、2011年平成23年)3月末をもって閉校し、53年の歴史に幕を下ろした。
校章
校名の頭文字である「大」の文字を図案化したデザインとなっている。
校歌
1967年(昭和42年)制定。作詞は市瀬正生、作曲は福島潔による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「大川原」が登場する。
校区
住所表記で平戸市の後に「木ヶ津町、赤松町、大川原町」が続く地域であった。中学校は平戸市立中部中学校校区。

沿革

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前史
  • 1882年明治15年)- 「紐差学区公立中等紐差小学校 大川原分校」が設置される。
  • 1886年(明治19年)4月 - 小学校令の施行により、「尋常紐差小学校 大川原分校」と改称。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により紐差村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の改正により、「紐差尋常小学校 大川原分校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
  • 1898年(明治31年)3月 - 高等科を併置し、「紐差尋常高等小学校 尋常大川原分校」に改称。
  • 1905年(明治38年)5月 - 「紐差尋常高等小学校 木ケ津分教場」(後に木ケ津分校)が開設される。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「紐差村国民学校 大川原分校・木ヶ津分校」と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、「紐差村立紐差小学校 大川原分校・木ヶ津分校」が発足。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併[1]で平戸市が誕生したことにより、「平戸市立紐差小学校 大川原分校・木ヶ津分校」(現校名)と改称。
統合・独立
  • 1958年(昭和33年)9月 - 大川原分校と木ケ津分校を統合の上、「平戸市立大川原小学校」として分離・独立[2]
  • 1962年(昭和37年)- 給食室が完成。
  • 1967年(昭和42年)- 校旗・校歌を制定。
  • 1980年(昭和55年)- 新校舎が完成。
  • 1982年(昭和57年)- 体育館が完成。
  • 1998年(平成10年)4月 - 3学級の完全複式となる。
  • 2007年(平成19年)- 創立50周年記念事業を実施。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月12日 - 閉校式を開催[2]
    • 3月31日 - 平戸市立紐差小学校への統合により、閉校[3]。跡地は福祉施設の作業所となっている。

交通

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最寄りの国道・県道

周辺

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  • 平戸牛肥育牧場
  • 慈眼神社
  • 慈眼桜
  • カトリック木ヶ津教会
  • 阿奈田ダム・阿奈田浄水場

脚注

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  1. ^ 平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が合併して市制施行し、平戸市が発足。
  2. ^ a b 大川原小学校で閉校式典が開催。(2011年(平成23年)3月12日) - 平戸市ウェブサイト
  3. ^ 平成23年度長崎県学校別児童・生徒数等 - 廃止校及び新設校・休校一覧”. 長崎県 (2011年). 2011年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月18日閲覧。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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