幸田 栄三郎(こうだ えいざぶろう、1910年8月28日 - 1966年11月4日)は、日本卓球選手。福岡県卓球界の草分け[1]

経歴・人物 編集

福岡市中島町(現・博多区中洲中島町)に生まれる。家業の漁具商である幸田商店の番台で、そろばんをネット代わりにして小学生時代から卓球に熱中した[1]

福岡県立中学修猷館に進学し、5年生であった1927年、上海で開催された第8回極東選手権競技大会(極東オリンピック)に日本代表として出場し、卓球単で優勝した[2]。1928年に卒業し[3]立教大学に進学。在学中1928年、1929年、1931年の全日本卓球選手権大会で優勝する[1]

卒業後、福博電車(後に合併され西日本鉄道となる)に入社。勤務の傍ら、修猷館などの旧制中学や女学校の生徒を指導。戦後は福岡県立筑紫丘高等学校福岡大学でも指導し、九州の学生チャンピオンらを育成。1952年に創立された福岡県卓球協会の副会長として卓球界に貢献した[1]

西日本鉄道で32年間勤務し、調査役で定年退職[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e 『福岡県百科事典 上巻』(西日本新聞社、1982年)714頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』修猷館235年略史3頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員21頁