庄田 安信(しょうだ やすのぶ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。当初は吉武氏を称した。

 
庄田安信
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文10年(1541年
死没 寛永6年2月22日1629年3月16日
改名 吉武氏、庄田氏
別名 安次(諱)、五六郎、三大夫
戒名 松声
墓所 浄福寺(京都市上京区
幕府 江戸幕府旗本
主君 赤井忠家木村重茲徳川家康
父母 庄田安守、赤井忠家の娘
安村
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生涯 編集

丹波氷上郡の武士。家伝によると父安守三河松平氏に仕えたが、病により致仕して旧領で隠居したといい、安信はその三男。当初は丹波赤井氏に従い、次いで豊臣秀吉家臣の木村重茲に仕えた。

慶長5年(1600年)からは徳川家康に出仕し、慶長6年(1601年日向佐土原城番、次いで伏見城番。慶長11年(1606年大和山辺郡宇智郡に2000石を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では旗奉行を務めた。同年に隠居して京都浄福寺に入って松声と号し、そこで晩年を過ごした。嫡子の安村は既に戦没していたため、孫の安照が家督を継いだ。

出典 編集